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BACK NUMBER #428 2014.6.14 O.A.

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生まれ故郷に革命を起こした男 バレンティンの奇跡の物語
かつて多くのスラッガーが挑んだ、聖域と呼ばれる記録。それを塗り替えた男、ヤクルト・スワローズ ウラディミール・バレンティン。この歴史的快挙が、彼の故郷に今までになかった大きな夢を与えた。生まれ故郷に革命を起こした男、バレンティン。一人の野球選手が実現した奇跡の物語を追った。
2013年11月、カリブ海に浮かぶ小さな島、キュラソー島はかつてない熱気に包まれていた。人口わずか14万人のこの島が生んだヒーローが、この日故郷に戻る。空港には、その姿を一目見ようと多くの人々が押し寄せた。そのヒーローこそ、バレティン、29歳。
到着すると旅の疲れを癒す間もなく、凱旋パレードが始まった。総距離は、島を半周に当たる40km以上。5時間にもわたり、故郷の人々に祝福された。その熱狂ぶりは、彼自身の予想を遥かに越えていた。それは、人口14万人の小さな島がジャパニーズ・ドリームを実感した歴史的瞬間だった。
キュラソー島には、リトルリーグのチームが40以上あり多くの才能を生み出している。
その強豪チームは世界大会で優勝した経験もあり、有望選手は、毎年アメリカにスカウトされ、これまで14人のメジャーリーガーが生まれている。島の子どもたちにとって野球は、人生を成功に導くアメリカン・ドリーム。バレンティンも例外ではなかった。
12歳の時にリトルリーグに入団。決して恵まれた環境とは言えない状況ではあったが、必死で練習していた。そんなバレンティンにチャンスがやってきたのは、16歳の時。アメリカのマイナーリーグのスカウトから声がかかったのだ。16歳の彼が最初に所属したのが、一番下のルーキーリーグ。そこから一歩ずつ着実にクラスを上げていった。そして、23歳で念願のメジャー昇格。シーズン終盤の9月だったが、マリナーズのユニフォームを身にまとい、打席に立った。初打席は2塁打。その後、出番は2打席と少なかったがホームランを放つなど非凡な才能を見せつけた。しかし、メジャー昇格の翌年からバレンティンは熾烈なレギュラー争いに苦しんだ。シーズン中にメジャーとマイナーを行ったり来たり。マイナーでは長打力を発揮し、活躍を見せるが、メジャーでは目立った結果を残す事が出来なかった。そんな状況のバレンティンに日本球界のヤクルト・スワローズのスカウトが目を付けた。新しい環境でプレーした方か自分にとってプラスになると考えたバレンティンは日本行きを決意。2011年、26歳でヤクルトに入団した。
1年目から期待されていた長打力を発揮。31本塁打を放ち、いきなりホームラン王に輝く。そして続く2年目もホームラン王を獲得した。
3年目の2013年シーズンもバレンティンは驚異的なペースでホームランを量産していた。9月11日には王貞治に並ぶ日本タイ記録の55号のホームランを達成。この時点で残された試合数は22試合。記録達成はなるのか…?日本中が注目していた。
そして残り19試合となった9月15日。神宮球場にはバレンティンの母・アスレットさんも見に来ていた。そして、1打席目に阪神の榎田投手からホームラン放った。49年ぶりに塗り替えられた大偉業。バレンティンは母・アスレットさんと共に喜んだ。それは日本だけでなく、故郷キュラソー島にも大ニュースとして報じられていた。
2013年11月。故郷に帰ったバレンティンサプライズでプレゼントが用意されていた。なんと、バレンティンの実家近くの道にバレンティンの名前が付られたのだ。さらにバレンティンの歌まで披露された。
今シーズン、バレンティンは4年連続のホームラン王を目指し、昨年とほぼ同じペースでホームランを量産している。日本球界の歴史に名を刻んだ彼は故郷の小さな島とチャンスをくれた日本球界への感謝の思いを胸に戦い続けている。
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