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BACK NUMBER #426 2014.5.31 O.A.

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国立競技場が揺れた!W杯初出場へ激闘の軌跡
日本のスポーツの聖地・国立競技場が5月31日にその歴史に幕を下ろす。
そこには、日本人の魂を震わせた幾多の伝説が刻まれていたる。国立ではければうまれなかったであろう、感動の瞬間。その最大のものと言えるのが、FIFAワールドカップ初出場を目指す、壮絶な戦いだった。まだ、ワールドカップに出たことがなかった、あの頃。日本代表は絶望の淵に追い込まれていた。知られざる真実を当事者たちが語った。ワールドカップ、開幕直前の今こそ、日本サッカーの夜明けを振り返る。
FAFAワールドカップ・ブラジル大会が間もなく開幕する。
日本代表は5回連続の出場、今や出場するのは当然、どこまで勝ち進むのかに日本中が大きな期待を寄せている。しかし、かつて日本にとってワールドカップは出場すること自体が悲願だった。それまで1度も出場したことがなかった日本が初出場を決めたアジア最終予選戦は『ジョホールバルの歓喜』と呼ばれ、人々の記憶に刻まれた。そして、そこに至るまでのアジア最終予選にこそ、熾烈を極めた激戦があり、数々のドラマがあった。
1997年9月に始まったワールドカップ・フランス大会・アジア最終予選、初戦。日本は順調な滑り出しを見せた。三浦知良ことキング・カズがなんと1人で4得点を決め、日本は最終予選の門出を圧倒的な勝利でスタートした。2戦目もUAEとアウェーで引き分け、勝ち点1を獲得。幸先のいいスタートだった。
迎えた3戦目。最大のライバル、韓国と国立競技場での対戦。なんとしても勝利が欲しいこの試合で、先制したのは日本だった。しかし、国立が沸いたのはここまでだった。後半39分に同点に追いつかれ、42分には逆転のゴールを決められてしまった。わずか3分間でまさかの2連続失点。そのまま日本は韓国に敗れた。さらに、試合終了後の記者会見で加茂監督の采配に批判が集中。不穏な空気が漂ったまま、4戦目のカザフスタン戦を迎えた。1−0とリードしていた後半ロスタイム。またも試合終了間際に失点。世界ランク120位台と格下を相手にまさかの引分け。するとその日の夜、異例の監督交代劇が敢行された。後任は加茂監督のもとでコーチをしていた岡田武史。岡田はJリーグでも監督経験をしたことがなかった。
監督が岡田に代わり、初めてのワールドカップ・アジア最終予選。負ければ初出場の夢はほぼ絶望的になる。しかし、前半31分。相手に先制を許してしまう。誰もが敗戦を覚悟した試合終了間際…。貴重な1点を追加し引分けで試合が終了した。岡田はその結果を前向きにとらえていた。
残り2試合となったアウェーでの韓国戦。日本は試合開始2分で先制点を奪うと2点目も追加し、ついに勝利をもぎ取った。その一方、フォワードのカズとロペスがイエローカードを受け累積により次試合出場停止。岡田は、すぐにゴンこと中山雅史に召集をかけた。
1997年11月8日。日本は最終予選、最後の試合のカザフスタン戦に挑んだ。この日中山はスタメン。序盤から積極的にゴールを狙い攻撃のリズムを作り出していく。すると前半12分。セットプレーから秋田のヘディングで日本が先制。さらにその4分後、中田が追加点をあげ、2−0。前半終了間際にも、中山がダメ押しとなる貴重な3点目を追加した。すると中山は、ある行動に出た。自分のユニフォームの下にもう1枚、背番号11のユニフォーム。それは出場停止になっていたカズのものだった。そして、日本はこの試合に勝利。苦しみ抜いた最終予選を2位で通過し、代表決定戦へ駒を進めた。
そしてその決定戦であの歓喜の瞬間を迎える。日本は悲願のワールドカップ初出場決めた。
大激闘の末に手に入れたワールドカップ初出場の切符。それは日本サッカーが新たに生まれ変わった瞬間だった。あれから17年…。日本は先人たちの思いを引き継ぎワールドカップ本大会で更なる高みを目指す。
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