バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #425 2014.5.24 O.A.

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日本代表FW大久保嘉人 発表の舞台裏に独占密着!
5月12日、日本中を沸かせた大久保嘉人のFIFAワールドカップ日本代表選出。
その舞台裏をカメラは克明にとらえていた。
発表の前日、大久保が亡き父に誓った知られざる思いとは?
そして発表の瞬間、妻は…
諦めなかった男の舞台裏を公開する。
大久保の名前がザッケローニ監督から読み上げられた瞬間、会見会場は大きくどよめいた。2年以上も代表から遠のいていた男が選ばれた。
今や日本を代表するストライカーとなった大久保。その影にはいつも父の存在があった。
「満足するな。常に上を目指せ」そんな父の言葉を胸に大久保はひたすら日本代表入りを目指してピッチを駆けていた。
努力の甲斐あって、2003年、20歳の時に日本代表に初選出。4年後のエジプト戦で初ゴール決めた。大久保は日本代表には欠かせない存在になっていた。
2010年、FIFAワールドカップに初出場。父も、息子と同じ背番号のユニフォームを着て日本で共に戦っていた。決勝トーナメント進出をかけたデンマーク戦。貴重な追加点のアシストをし、日本のベスト16入りに大きく貢献した。
しかし、帰国後、膝を手術。長期離脱をよぎなくされてしまった大久保は、2012年2月を最後に日本代表には呼ばれなくなってしまった。
2013年5月、大久保は代表復帰をかけて川崎フロンターレに移籍。新たな戦いを始めようとしていた、そんな時だった。数年前から入退院を繰り返していた父が61歳で他界。
父がいた病室には一通の手紙が残されていた。
「日本代表になれ。空の上から見とうぞ」
父のためにも絶対に日本代表に復帰する。大久保は父に導かれるようにゴールを量産し、その年、自己最多となる26ゴールをあげ初のJリーグ得点王に輝いた。
そして、ワールドカップイヤーの2014年シーズン。大久保は勢いをそのままに開幕から12試合で日本人トップの8得点をあげ猛アピールした。
代表発表の前日、大久保は福岡の実家に帰っていた。真っ先に向かったのは1年前に亡くなった父・克博さんの仏前。実は、代表発表の5月12日こそ、父の命日。大久保は運命を感じていた。なんとしても父に吉報を届けたい…
そして迎えたワールドカップ日本代表発表当日。会見まであと1時間となった時、大久保は翌日韓国で行われる試合のためにバスに乗り込み羽田空港へ向かっていた。
大久保の自宅では、妻・莉瑛さんと長男・碧人くんがテレビの前で見守っていた。
そして午後2時、代表発表が始まった。数々の代表メンバーが発表されていく中、ついに大久保の名前が呼ばれた。バスの中のメンバーから祝福の声があがり、大久保からも笑顔がこぼれた。自宅で見ていた妻は歓喜の涙を流した。
代表発表から3日後、韓国遠征を終え、大久保が自宅へと帰ってきた。実は莉恵さん、この日のために1か月以上前からあるものを用意していた。それは、子ども用の日本代表ユニフォーム。このユニフォームを着てFIFAワールドカップを応援するという。
日本代表に復帰した大久保嘉人。1か月後、彼がブラジルでどんなバース・デイを迎えるのか、楽しみで仕方がない。
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