バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #421 2014.4.26 O.A.

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なでしこJAPANの光と影 ボンバー荒川の波乱万丈の人生
2011年、サッカーワールドカップ優勝という
歴史的快挙を成し遂げた“なでしこJAPAN”。
彼女たちは国民栄誉賞を授与されるなど、一躍時の人となった。
その人気は現在も続き、代表戦ともなれば、全国中継され日本中から注目され続けている。
そして、その試合を複雑な思いで見つめる一人の女性がいた。
彼女の名は荒川恵理子、34歳。
特徴的なアフロヘアーから“ボンバー荒川”と呼ばれ、
かつては日本代表の絶対的エースストライカーで、なでしこJAPANの代名詞的存在だった彼女。
だが、荒川は歴史的快挙となった3年前のワールドカップ直前に日本代表から落選。
その後もなでしこJAPANから呼ばれていない。
現在、34歳の荒川。彼女は今も日本代表入りを目指して戦い続けている。
そんな荒川には、知られざる悲劇の物語があった。
荒川が強烈な光を放ったのは今から10年前のアテネ五輪の出場権をかけた、アジア最終予選。当時24歳だった荒川は先制点を決め、アテネへの切符をもぎ取った。その勢いは、五輪でも発揮され、貴重なゴールを決め、なでしこJAPAN初のベスト8へと導いた。
さらに、2008年の北京五輪でもベスト4に貢献し、荒川がチームを支えていたといっても過言ではないくらい、日本女子サッカーのエースとなっていた。
しかし2011年、運命はあまりに無慈悲な急展開を見せる。
この年、荒川はエースとしてW杯に出場するはずだった。
ところが、大会4か月前、突如悲劇が襲う。
左足のすねを7か所疲労骨折。全治7か月という診断が下された。
荒川は、夢の舞台であったW杯への出場が断たれた。
悪夢のような現実・・・。
荒川不在で始まったW杯は、次々と強豪を撃破し、優勝という歴史的快挙を成し遂げた。その様子をテレビで見ることしかできなかった荒川の胸中は、激しく揺れていた。
そして、世界一となったW杯以降、若手の活躍が目立つようになり、荒川が日本代表に呼ばれることはなくなった。

荒川のケガは順調に回復していた。
しかし、以前のキレが戻らず、ベンチを温めることが増えた。
33歳になった荒川は出場機会を求めて、なでしこ2部リーグのASエルフェンに移籍した。
荒川恵理子34歳。今、彼女はどのような生活を送っているのか。
午前9時。
自宅から作業着姿で出てきた荒川が向かったのは、近所のスーパー西友。
実は、荒川が所属しているチームは2部リーグ。ほぼ全員がアマチュア契約のためサッカーでの収入はない。そのため、週4日、午前10時〜午後2時までの4時間、スーパーで生活費を稼いでいる。職場では1・2を争うベテランだ。
午後5時。
練習へ向かうため、片道1時間を毎日電車で通っている。
練習は夜7時〜9時まで。2時間みっちり汗を流し、元なでしこJAPANの荒川の1日は、こうして暮れていく。
荒川が所属するASエルフェンは昨シーズンの荒川の活躍で、今季からなでしこリーグ(1部リーグ)に昇格した。
そして今月6日。荒川は2年ぶりになでしこリーグでの得点を挙げ、チームを勝利へと導いた。
かつての輝きを取り戻そうと必死に汗を流す荒川恵理子。
苦しい試練を乗り越え戦い続ける荒川の行く手にこれからも注目していきたい。
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