バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #414 2014.3.1 O.A.

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ソチ五輪で、日本男子フィギュア初の五輪金メダルを獲得した羽生結弦
2014年2月、ソチオリンピック、男子フィギュアスケートで、ある男が歴史的な金字塔を打ち立てた。日本男子フィギュア史上初となる金メダルを獲得。ソチオリンピックで日本人唯一の金メダリストとなった。その笑顔は日本中に多くの感動を与えてくれた。
羽生結弦、19歳。
羽生は宮城県、仙台市出身。3年前のあの東日本大震災のとき、当時16歳だった羽生は、地元・仙台のスケートリンクで、被災した。自宅が全壊し、避難所での生活を強いられるなどの苦難を、身を以て味わっている。地元仙台のスケートリンクで練習している最中に震災に襲われ、スケート靴を履いたまま、無我夢中で建物の外へ避難したという。慣れ親しんだスケートリンクも閉鎖され、満足な練習環境を得る事ができなくなってしまった。
そんな羽生に救いの手を差し伸べたのは全国の支援の声だった。アイスショーへの出演オファーが数多く寄せられたのだ。羽生は、ショーに出演することで、足りない練習量を補い、演技に磨きをかけていくことができた。半年間で実に60公演。全国を渡り歩いた。アイスショーへの出演は、練習拠点を失った羽生にスケートの場を与えたくれただけでなく、羽生の被災地への思いを架け橋として繋いでくれる存在でもあった。
そんな過酷な環境下であったにも関わらず、羽生はここから、驚きの成長を見せる。
震災からちょうど1年が過ぎた2012年3月。世界のトップ選手達が集う世界選手権に日本代表として初出場。その初めての大舞台で、羽生は輝きを放った。なんと日本男子選手・史上最年少で3位をつかみ取った。羽生の快挙を故郷・仙台の人たちが大きな喜びで迎えてくれた。自分のスケートの頑張りは、故郷とつながっている。それを感じる事ができた瞬間だった。
2012年5月。ソチオリンピックへ向けて、羽生結弦はさらなるレベルアップを目指し海を渡った。カナダにあるスケートクラブに練習拠点を置き、バンクーバーオリンピックの金メダリスト、キム・ヨナを育て上げたカナダ人コーチ、ブライン・オーサーの指導を受ける事にしたのだ。
オーサーコーチが羽生に課したのは、ジャンプではなく、基礎的なスケーティング技術の見直しだった。オーサーは、“スケートの刃による氷の捉え方”そこに羽生のジャンプのレベルアップの鍵があると見ていた。カナダに渡ってから1年が過ぎた2013年8月。オリンピックシーズンの開幕に向け、羽生の4回転ジャンプは完成度を高めていた。未曾有のあの大震災で被災してから3年、やれることをすべてやりきってオリンピックに向けた日々を過ごした。迎えた今シーズン、羽生は出場したすべての国際大会で表彰台に上がりソチオリンピック代表の座も、選考会を1位通過で決めた。
ついに迎えたソチオリンピック。まずは、ショートプログラム。その演技は日本中を興奮させた。世界歴代最高得点をたたき出し、ショートを1位で終えた。そして迎えた翌日のフリープログラム。その勇姿を、地元仙台の人々が見守っていた。震災から3年、思いのすべてをこの演技に込めた。そして…羽生は金メダルを獲得。
遠く見守っていた仙台の人々に笑顔を届けた。震災から3年を経て、羽生は世界の頂点に立った。
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