バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #292 2011.7.2 O.A.

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岩手・釜石の震災復興に尽くす、外国人ラガーマン
甚大な被害に見舞われた岩手県、釜石市。
震災直後、ボランティアに奔走する、一際体格のいい男たちがいた。彼らは、釜石に本拠を置く、社会人ラグビーチーム、釜石シーウェイブスの選手たち。そのチームの要、ニュージーランドからやってきた、ピタ・アラティニ 35歳。アラティニは言う、「日本の友人が苦しんでいる。復興の力になりたい」と。
彼はかつて、オールブラックスという愛称で知られる、ニュージーランド代表で活躍してきた選手だ。
震災後、日本を去る外国人が多い中、アラティ二は、なぜ釜石に残り、ボランティアを続けたのか?そこには、釜石という町に対する特別な思いがあった。
実は釜石は、ラグビーの街。見渡すと至るところに、ラグビーに由来したものがある。釜石には、かつて、新日鐵釜石 ラグビー部というチームがあった。1978年から84年にかけて、7年連続日本一を達成。釜石市民は、港町ならでは、大漁旗をはためかせ応援した。以来、ラグビーは釜石の象徴になった。
新日鐵釜石ラグビー部は、企業チームから、10年前、クラブチーム、釜石シーウェイブスへ移行。
現在、社会人リーグの2部に所属する決して強いチームとは言えない。だが、今もなお、街のシンボルとして愛され続けている。
アラティニは、そんなシーウェイブスに来た大物助っ人。チームの要の彼は、街のヒーローともいうべき存在だ。来日から5年、家族とともにこの地に根付き、時を過ごしてきた。
だが…
東日本大震災は、その幸せな日常を破壊した。内陸部にあるアラティニの自宅は、無事だった。だが、帰っても、家族はいない。震災後、ニュージーランドに帰国させたのだ。家族は、日本に残りたいと言った。しかし、祖国の親族に無事を知らせるため、止む無く帰国させたのだ。子供たちは、物心ついたときから、釜石に住んでいる。彼らにとって、釜石は故郷。友達たちも、みんな釜石の子たちだ。別れ際、泣きじゃくる子供達。それはアラティニを深く苦しめた。例え、家族と離れ離れになっても、アラティニは、釜石に尽くしたかった。
そして、震災から2か月後、ついに家族が日本に戻ってくることになった。待ちに待った家族の再会だった。
そして震災後、初となる、地元釜石での試合。会場には、待ち望んだ、およそ1500人の釜石市民が詰めかけた。そこで、アラティニと釜石シーウェイブスの選手たちは、復興のシンボルとなるべく戦った。
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