バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #195 2009.5.18 O.A.

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横浜 村田修一 再起を懸けた戦いに密着
今シーズン開幕から、まさかの6連敗に苦しむ横浜ベイスターズ。そんな現状に、誰よりも責任を感じている男がいる。村田修一、28歳。

村田は2003年に横浜に入団。1年目からハマの4番候補として大きな期待を寄せられていた。順風満帆の野球人生を送っていた村田に、2006年、野球に対する考え方を変える出来事が起きた。妻・絵美さんが妊娠からわずか6ヶ月で破水し、体重712グラムの超未熟児を出産。しかし長男・閏哉くんは保育器の中で必死に戦い続け、ついには試合の応援に来られるほど元気に成長した。「生死をかけて生きている子供の姿を見ると、野球なんかいくらでも頑張れる…」その気持ちの変化は結果として如実に現れ、2007年、2008年には2年続けてホームラン王に輝くなど、日本球界を代表するスラッガーに成長した。

2008年、迎えた北京五輪。村田は日本代表の4番として出場。しかしその重責に耐え切れず、結果を残すことができなかった。帰国後、本来のスイングを取り戻した村田はこの年、自己最高の46本のホームランを記録。再びWBCの日本代表メンバーに名を連ねた。WBCで村田は北京で完璧に抑え込まれた韓国のキム・グァンヒョンからホームランを打つなど、主砲の名にふさわしい活躍を見せた。

しかし3月20日、予期せぬアクシデントが村田を襲った。太ももの肉離れで全治6週間。途中帰国を余儀なくされた。3月24日、日本代表は悲願のWBC2連覇を果たした。優勝の瞬間に立ち会えなかった村田・・・しかしチームは村田のことを忘れてはいなかった。内川は村田のユニフォームをトロフィーとともに空に掲げ、帰国後、原監督は持ち帰った金メダルを村田に手渡した。

今年、村田は入団7年目にして初めて開幕を2軍で迎えた。村田不在の横浜は、開幕から泥沼の6連敗。そんなチームの状況に村田は焦っていた。「これ以上ゲーム差を離されたら追いつけない…」驚異の回復力を見せた村田は、4月22日、ついに一軍復帰。待ちわびた主砲の復活にスタンドも沸いた。

チームリーダーとして、主砲として、これからは自分がチームを引っ張っていく。村田は熱い思いを語った。
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