バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #193 2009.5.4 O.A.

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第2の人生のスタート! 清原和博に密着
2008年10月1日、野球界のスーパースター清原和博がユニフォームを脱いだ。そして今年2月14日、巨人軍のキャンプ地、宮崎に姿を現した清原。引退後に再び球場にやってきたのには理由がある。それは「様々な角度から野球を見て勉強したい」というもの。清原は、一度外から野球を見てみたかったのだ。コーチとしての打診がありながら断ったのも、その思いからだった。

清原の選んだ第2の人生…それは、自分の目で見た野球を、ファンに伝えること。その第一歩としてWBC第2ラウンドのスペシャルナビゲーターに就任。新聞では評論家としての仕事を引き受けた。清原はWBCでの日本の最大のライバルは韓国と予想していた。開幕1ヶ月前、清原は韓国を訪れた。韓国の野球の強さを自分で見て感じるため、清原がどうしても行ってみたかった場所…それは韓国の全国大会16度の優勝を誇る信一高等学校。そこで清原は日本のプロ野球顔負けの施設や、指導に関する日韓の違いを目のあたりにする。ユニフォームを脱いで初めての海外取材で、清原は自分が育った日本の高校野球とのレベルの違い、そして韓国が背負っているものの大きさの違いを感じ、その衝撃を語った。

3月15日、WBC第2ラウンドが開幕した。清原はアメリカに渡っても独自の目線で取材を続け、その熱い思いを伝えてくれた。世界の強豪国と熱戦が繰り広げられる中、清原は冷静に試合を分析していた。勝負のポイントを分かりやすく、丁寧に解説。自らも経験してきた4番バッターについては、その責任の重さを伝えていた。

そして迎えたWBC2連覇がかかった決勝戦。清原は、現役時代の熱い気持ちをよみがえらせるほどの興奮を、マイクを通して観衆に伝えた。そして清原はこんな言葉を残してWBCをしめくくった。
“この連覇は野球人としてだけでなく、日本人として誇らしく思う。
暗いニュースばかりの日本の社会が野球で元気になり、
サムライジャパンが勇気や希望を与えたとすれば、こんなにすばらしいことはない。”
(3月25日 日刊スポーツより引用)
現役時代から日本の野球界に夢を与え続けてきた清原和博。その新たな挑戦は、まだ始まったばかりである。
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