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BACK NUMBER #190 2009.4.6 O.A.

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高橋尚子 マラソン人生の知られざる素顔
3月8日、名古屋国際女子マラソン。このレースは“ありがとうラン”と銘打たれた高橋尚子の引退レースでもあった。引退を表明して5ヶ月経ったが、高橋への声援は変わらない。彼女はなぜこれほどまでに、皆から愛されるのか?

高橋の密着取材を始めたのは1999年。当時は彼女がこれほどまでの選手に成長しようとは誰も予想していなかった。少女のようなあどけなさが残る27歳の高橋は、とにかく走るのが好きな選手だった。それを物語る映像が残っている。シドニーの代表選考会前に出場した市民マラソンで転倒。左手首を骨折してしまった。だが、高橋は6日後には練習を再開していた。走らずにはいられなかったのだ。

高橋は、いつも練習の取材を気さくに受けていた。しかしシドニーの代表選考会の前は違った。相次ぐ怪我やプレッシャーからマスコミに敏感になっていた。そんな高橋を、時に厳しく、時に優しく、奮い立たせてきたのは小出監督だった。

そしてシドニー五輪では、日本女子陸上界初の金メダル獲得。すると史上最年少の国民栄誉賞を受賞するなど、次々に表彰を受けた。しかし一方で、言われのない誹謗中傷を受ける事もあった。さすがの高橋でも聞き流せるほど、強くはなかった。長く密着取材を続ける我々に悲しい表情を見せたのはこの時だった。
だが、高橋は走ることを決してやめなかった。そんな彼女が己を追い込んだ証がある。それは、31歳という年齢を感じさせない、驚異の肉体だ。この肉体を持って、高橋は“前人未踏の五輪連覇”という新たな目標に挑んだ。しかし、アテネの代表選考レース、東京国際女子マラソンでまさかの2位。アテネ行きの切符獲得はならなかった。そして2005年、高橋は10年に渡る小出との師弟関係を解消、独立することを決めた。

2007年3月、高橋は2度目の五輪を目指し、名古屋国際女子マラソンに出場した。しかし、結果は27位。惨敗だった。レース後の高橋には、悔しさよりも達成感があった。そして2008年10月、現役引退を発表した。そして今、高橋は第2の人生を歩き出した。
世界の舞台を全力で闘った高橋。そこで味わった数々の経験は、今後のスポーツ界の未来を背負って立つ次世代に貴重な財産を伝えてくれるだろう。
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