バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #185 2009.2.19 O.A.

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いくつもの苦難を乗り越えて…
氷上のシンクロ 若き熱血監督26歳の挑戦
フィギュアスケートの団体競技、シンクロナイズドスケーティング。16人ものスケーターがスピードを保ちながら一糸乱れぬ動きで様々な隊形を繰り広げる競技だ。それゆえ、わずかのミスで衝突や転倒をまねく危険も併せ持つ。日本では競技人口が極端に少なく、全日本選手権の出場チーム数はここ数年わずか2チームのみ。そこに7年ぶりに新たなチームが加わった。チームを率いるのは岩崎美佐、26歳。シンクロナイズドスケーティングの歴史を切り開く岩崎の戦い、それは2年前から始まっていた。

チーム誕生は2007年、夏。京都大学のスケート部員がその年に新しく開催された大会に出場するため結成した。そのチームの指導を託されたのが岩崎だった。しかし、選手は全員大学からスケートを始めた初心者ばかり。岩崎は「シンクロを楽しいと思ってもらいたい」と優しく笑顔で指導した。だが、その笑顔の裏にはある不安があった。母・道子さんが指導を初めてまもなく重病を患い倒れたのだ。それでも、岩崎はチームにそのことを告げずに熱心な指導を続けた。そして、大会本番。チームは見事な演技を披露した。

しかし、その後にチームは解散。岩崎は地元でシンクロの普及に務めながら、もう一度チームを作る願いを持ち続けた。そんな岩崎に大きな悲しみが襲った。誰よりも岩崎のシンクロを応援していた母・道子さんが49歳の若さで帰らぬ人となった。

母の死から3ヶ月後、岩崎はついに16人の選手を集め、日本最高峰の大会、全日本選手権にエントリーした。メンバーは前回よりもスケート技術の高い選手が集まった。岩崎の指導方針は変わった。前面に厳しさを出し、激しい言葉で選手たちを奮い立たせた。「できるようにならないと自分たちも楽しめないと思う」。そんな岩崎に選手たちも必死にくらいついた。

そして、迎えた全日本選手権。果たして、岩崎のチームはどんな滑りを見せたのか。
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