バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #153 2008.6.19 O.A.

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日本女子バレー 栗原恵
日本女子バレーのエース「プリンセス・メグ」こと、栗原恵。4年前、アテネ五輪出場を決めた時、その顔には笑顔があふれていた。しかし北京五輪への切符を手にした瞬間、彼女は笑顔を見せなかった。4年という歳月は、栗原をどう変えたのか?

9歳からバレーを始め、女子バレーの名門中学からスカウトされた栗原は、両親の心配をよそにバレーに熱中。メキメキと頭角を表し、高校は全国屈指の強豪校である全寮制の三田尻女子高校に進学。栗原を中心としたチームは3年間で4度の全国制覇を達成し、栗原の名は全国に轟いた。

この頃、全日本女子はシドニー五輪の最終予選でまさかの敗退。かつてない低迷の時を迎えていた。2003年、女子バレー復活を託されて監督に就任した柳本は、未来の可能性を信じ、まだ18歳の高校生だった栗原をチームの主軸として抜擢。栗原を大きく育てることが全日本女子の栄光を復活させると確信していた柳本は、彼女を徹底して鍛えあげた。

そして迎えた2004年アテネ五輪世界最終予選。代表歴わずか1年の栗原の大活躍で、全日本女子は見事に五輪への切符を掴みとる。しかし初めての五輪の舞台で、栗原の前に世界の壁が立ちはだかる。渾身のスパイクがことごとく止められ、メダルを狙う強豪国には全く歯が立たない。栗原が始めて経験した大きな挫折だった。

その後、度重なるケガに泣かされ、栗原はバレーが出来ない苦しい日々を送る。引退の二文字が脳裏をよぎる。しかしそんな苦しみを救ってくれたのは、母からの一通の手紙だった。

今年4月、北京五輪出場に向けて栗原は新たな技術の習得に取り組み、確実に成長を遂げた。そして最終予選の初戦ポーランドを相手に、栗原はチームを引っ張り、日本は大事な緒戦をものにする。その後も栗原の活躍で6連勝。日本代表は北京五輪出場を決めた。しかし、彼女の顔に笑顔はなかった。その視線ははるか先を見据えていたのだ。「北京で必ずメダルを獲ってみせる」と。

北京への前哨戦、ワールドグランプリで栗原はどんな戦いを挑むのか?
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