インタビュー

佐藤浩市さん(Page.1)

良い現場のつくりかた。

やはり “仕事は厳しく、現場は楽しく”。
常に (撮影) 現場の中では笑いがあるようにしたいです。けれど、カメラが回ってからは、現場が同じ方向に向かって、びしっとできるような厳しさを持つことが、僕の中で一番大事なことだと思っています。どんなに撮影がよくても、スタッフ・俳優の中から笑い声が漏れていない現場は苦しいですし、そういう現場にはしないようにしたいなと思いますね。

福澤克雄監督について。

いい意味で体育会系。その一言!
世代的に近いので 「 現場は演出家が引っ張っていくんだ!」 と “個人” よりも “チーム” という考えの中でやっていらっしゃる監督なんだろうなと思います。
いい意味で前向きに、前のめりに進んでいく方ですね。今回のドラマの中で、愛知佐一郎という人が持っている気質。モノをつくっていくということに対する、そのまっすぐな前向きさとうまくマッチングしていると思いました。

昭和を舞台にしたドラマについて。

あまり TBS さんは言ってほしくないのかもしれないけれど (笑) … 大変だったんですよ!
福知山から始まって、豊橋… また福知山に戻って、それから豊田に行って… 加古川行って、赤穂も行って、奥出雲行って… 藤岡行って、山口に行って… 最終的には上海。
ものすごく過酷なロケでした。

なかなか行こうと思ってもいけない場所がたくさんありました。赤穂では赤穂城跡を見て、奥出雲では 「鉄鋼の街だったんだ!」 ということを知りました。行ったことのない場所にたくさん行って、地元のフィルムコミッションの方や、ロケに協力してくださったエキストラの皆さんを含め、皆さん大変温かかったです!訪れたその土地土地で 「あたたかいものを食べてもらおう」 と思ってくださっている地元の皆さんの食を口にしながら、朝7時から数100人のエキストラの皆さんが集まってくださる… それが当たり前のようにそこにあるわけではなく、まったくないところから始まってくれている。
大変だったからこそ、逆に僕自身が周りにどう見られているか、スタッフ、キャストも含め、いろいろな意味で、奮い立たせてくれる条件になったと思います。

撮影現場でのお話。

宮沢りえさんや、山口智子さん、前田敦子さん、女優陣たちもいらっしゃいますが、基本的にはおっさんばかり (笑)。
しかも、ロケが52日間、スタジオが11日間。さらに移動日を含めると… こうして3ヶ月一緒にいると、夜はやはり… おじさんたちは飲むしかないんです (笑)!
橋爪功さんをはじめ、出演者たちは夜にその土地土地の居酒屋さんに顔を出し、ここまで親睦を深める必要があるのか… と、いうくらい皆で集まりました (笑)。

本当に面白いもので、私たち俳優は “個人事業主” なので、みんなで集まるのが楽しいけれど、1人になりたいときもあります。同じロケ地にずっといると 「今日はご飯はいいです」 と言う人が出てくるものです。しかし今回はいろいろな場所に行って、新しい町に行くと、弱い生き物たちの習性で、知らない場所なので群れをなさないと怖い (笑)。必然的に集まってしまって、毎晩いろいろ話をしました。若い役者たちが、自分たちの未来を語るのならわかりますが… 全員いい歳ですし、「それがここまで集まるかっ!」 というくらいよく集まっていましたね。
アイチの工場を建てる場所を、社員たちに見せるというシーンは、椎名桔平さん、吉田栄作さん、萩原聖人さん、高橋和男さん、えなりかずきさん、須田邦裕さん… 6人がオールアップする日でした。そこで橋爪さんはスケジュールに入っていないのにも関わらず、真剣にマネージャーに 「この日は自分は行けないのか」 と交渉したそうです (笑)。真剣にお願いしていたそうで、結果的には無理だったのですが 「あれは本気だったのか!」 と皆が思いました (笑)。そのオールアップの現場に、大先輩が来ようと思ってくださったというくらい何かがあった現場でした。そこで皆と一緒に 「4ヶ月間お疲れ」 と、ただ言いたかった。このエピソードだけでもわかっていただけるのではないでしょうか。そこには “おっさんたちの熱い絆” がありました (笑)。

車への意識は変わりましたか?

僕自身、当たり前のように故障もしないで走る日本の車を、目の当たりにして享受しているけれど、昔はガラス1つ曲げられなく、1分間の中で、ピストンが何回回転して、シリンダーが摩耗してしまうから、そこに耐えなければ… なんて、そんなところから車づくりが始まっていたことに考えも及ばなかったです。ここから始まっていたんだ… と、僕自身が感じたことが、ドラマを通して皆さんにも伝わったらうれしいです。
そして、実際に 「モノを作る側」 になったとき、改めて難しさを感じて、だからこそ自分たちがそこに向かっていく意味がある。モノをつくることの面白さを感じてきました。そういった部分も感じていただけたらと思います。
今の時代の車はすごいですよ、改めて!

三國連太郎さんも車がお好きでしたよね。

彼らの時代は、“象徴” として車がありましたよね。
僕らがこの仕事を始めた頃も、撮影所にいくと大先輩たちが、素晴らしい外国車で来るわけですよ。「ああ。いい車乗りたいな!」 という思いは、始めた頃はありました。
三國たちの時代は 「車というものはシンボル」。そういうものだったのではないでしょうか。だって、1960年代なんていうのは、外国車1台で家が買えるような時代ですもん。

このドラマの意義

見てくださった方が、どういったことを感じるかだと思います。
車という可能性が日本の中でどれくらい広がるか、資源のないこの国が生きていくためには技術力だという覚悟の中でも、佐一郎の執着がない部分があって、彼50いくつで会社を辞めているんですよ。彼の中では、築きあげたものに対して執着するのではなく、築いたものがどうやって周りに拡散していくかということの思いの方が大事なんじゃないかなと思っているんですよね。 そういう人物として、僕の中で演じたつもりです。