◆宮沢語録「郵政解散・刺客選挙」(2005年11月9日)
郵政法案の是非だけを争点に解散に踏み切った「郵政解散」。そして、1つの法案に反対した議員はことごとく党から追い出し、若い対立候補を立てる「刺客選挙」。いずれも自分ならやらない。歴代総理は知っていたけどやらなかった。それはマジックでも何でもない。そう、語気強く語った後で、番組の最後で有権者へのメッセージを尋ねると「今度の選挙は何だったのだろうかという事をお考えになって投票に行ってください」と締めくくった。
その後も、「今回はどうでしょう」「いやあ、でも本人に聞いてみます」・・・「本人はわかったと言ってますので」という事務所とのやりとりは相変わらずであったが、節目節目で4回にわたって出演頂いている。どうしてもここで、宮沢氏の話を聞きたいとの思いで出演をお願いしているのだが、しかし、その一方で、痩せた姿がなおも改善しない中、あのプライド高いと言われた宮沢氏がなぜ出演を引き受けてくださるのだろうかとの疑問が頭をもたげてきた。
そして、その答えは、宮沢氏が行き詰まるアジア外交について語っている時にハタと気づくことになった。小泉総理が、靖国参拝に反発する中国、韓国に対し、「もう靖国は外交のカードにはならない。中韓がいくら外交カードにしようとしても無理だ」などと発言していることについて触れた時だった。
◆宮沢語録「行き詰まるアジア外交」(2005年12月18日)
小泉総理の言葉を「誤用」だとし、その後も話題を変えようとする岩見氏に対し、なおも言葉を継ぐ宮沢氏。そして、小泉総理のアジア外交に関する言動を「わがまま」と切り捨てて見せるのだ。その鬼気迫る姿に、後藤田氏がかつて、一番腹が立つことを尋ねた時に「時間がないこと」と打ち明けたことを思い出した。
戦前に生まれ、戦中、戦後と生き抜いてきた宮沢氏。サンフランシスコ講和条約締結に立ち会うことに始まり、GHQとの駆け引き、そして、池田総理のブレーンとして高度経済成長の枠組みを作り、最後は総理大臣まで上り詰めるという、文字通り戦後政治の中心にいて歴史を経験して今まできた宮沢氏。その宮沢氏は過去の記憶に生きることなく、今でも「歴史の渦中」にあるのだ。今、語っておかないとならないことがあるのだ。
そう思った時、私は宮沢氏を「歴史の証人」として尊敬してきた自らを恥じた。
戦後の混乱や修羅場を生き抜いてきたいつよりもすさまじく、宮沢氏は今を生き抜こうとしていたのだ。
※本原稿は新・調査情報より抜粋されたものです。
◆石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

|
宮澤:「私はやらないと思います」
岩見:「やっちゃいけない解散だと…」
宮澤:「やらないほうが良い」
(略)
岩見:「小泉マジックというのはどうですか?」
宮澤:「マジックって別に思った事は私は無いなぁ。ただ、今まである権力を精一杯に活用したらこういう事が出来たということで。ただ、今までこういう事は誰も実はやらなかった。それは知らなかったではないが、やらなかったということですから。それはマジックと呼ぶのは、さあどうでしょうね」
(略)
岩見:「戦後の歴代総理はこういう、つまり総理権限の行使の仕方は控えていた?」
宮澤:「まあ、異例であったですね、政党政治というものがやっぱりあって、それは本来どういうものだということがありますからね。その中で考えてきたわけでしょうから、その法案に反対した人は全部選挙になったら非公認にするなんて、そこに相手を立てるなんて、この”素晴らしいこと”はですね、なかなか考えなかったですね」