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宮沢喜一・「右のお尻の秘密」

宮沢氏はいつも右のお尻のポケットに手帳を入れている。そこに「2つの秘密」があるのを知ったのは2年ほど前のこと。番組『時事放談』を始めるにあたって、その準備のために東京・一番町のビルの中にある事務所で、いろいろとお話を伺っている昼下がりであった。

憲法について話題にしたときだった。「憲法と言えば、いつも持ち歩いているんですけどね」。宮沢氏が意外なことを口にした。なんのことなのか、見せてくださるようにお願いすると、尻のポケットから取り出した手帳にはちょうど入るぐらいの小ささの紙片で、憲法の条文が几帳面に挟んであった。

宮沢氏と言えば憲法が施行された1947年には若手エリート官僚として大蔵省で活躍し、その2年後には大蔵大臣秘書官に任じられている。政治家の中でも憲法に関して深い見識を持つ人物であることで知られる。その宮沢氏がなぜ憲法の条文を肌身離さず持ち歩くのか。しかも、その紙片は何回も開いたり閉じたりした形跡があってややすり減っているのだ。

「私はこの憲法についてはあまりよく知らないからです」。きっと、私がけげんそうな顔をしていたのだろう。宮沢氏はさらに言葉を継いだ。「いや、明治憲法はさんざん学校で習ったのです。でも、この新憲法は学校で習ったことがないので。だからいつも持ち歩いているのです」。優しい口調とは裏腹に、憲法を棚に飾ってなおざりにするのでなく、いつもお尻のポケットに入れて、肌身離さず「平和憲法」を意識するとの、宮沢氏の政治家としての決意がそこにあった。

そこで、宮沢氏に番組の初回で中曽根元首相と出演いただいた。戦後政治の2つの流れを体現する「護憲派」と「改憲派」2人の、総理経験者のテレビでの顔合わせは異例のもので、2人の平和観の違いは「イラク戦争」をめぐっての議論となった。


宮沢語録「イラク戦争」(2004年4月4日)

宮沢:「この戦争そのものには色々問題がある。第一、大量破壊兵器というものは発見されていないし、それから、9・11というものとサダム・フセインとは直接関係がないということもどうやらはっきりしているし、安全理事会では決を採らないで勝手にどんどん先に行ってしまって、おまけに先制攻撃をしたわけですから、それらには問題があるんだ、ということを私は言おうとしているわけです。
 だから、なかなかよその国がついてこない、ドイツとか、フランスとかの立場がそういうことになるわけなんで・・・」

中曽根:「私はちょっと違う。(略)国際法学者はいろいろ言うだろうけれども、国際法も50%。しかし、その他に、これは歴史的に後世どういう影響を持ち、意味を持つかと。それから、日本の利益に対してなるのかならないのかと。
 そういうようなモノサシで長く見て、その時の臨床的反応で見るのではなく病理学を入れて、どういう性質の病気をどうしたか、という判定するのが政治家の役目だと。学者と違う」

宮沢:「戦争そのものはできたかもしれないけど、『戦争後』ということは最初から分かっているわけだから、アメリカ1国ではできないことが分かっているのに、俺がやるからみんな見てろ、といったような、そういうことではやはりうまくないな、ということだと思う」

番組では、この後も中曽根氏が反論し、双方の主張が火花を散らした。

そして、手帳の、もう一つの秘密は為替レートのメモであった。円の対ドルレートの動きが細かくメモしてあるのである。

いつからメモしてあるのか、確認できなかったが、大きくレートが動いたときにメモをしておくとかで、プラザ合意の時には「Plaza」、ブラックマンデーの時には「Black monday」と宮沢氏らしく英語とともに日付とレートが細かく書き込んであった。

ただ、これを見た時の私の感想は、為替レートのデータなどは今時簡単に引き出せるし、それも相当古くの分から調べられるのに、というものだった。そこで、「なぜこれをメモするのですか」(我ながら何とも子供じみた質問であるが)と聞いたところ、宮沢氏は「データというのは、そのままでは数字の羅列なんです。それを、誰かが知っていないと意味がないんです」と言うのである。

説明はそれだけだったのだが、言外にはっきりと「それを知っているのは政治家としての私なのです」と聞いて取れた。

データをコンピューターの中に記憶させておくだけでは意味がない、政治家が肌身離さずそれを知り、政策に生かして初めて意味があると。自ら戦後の日本の国の舵取りに責任を持つという、いわば保守政治家の矜持に私はおののいた。

そんな宮沢氏は「プラザ合意」が経済だけでなく、今に至る日本の社会のターニングポイントになったとの考えを披露した。


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