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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

宮沢喜一氏〜「今、歴史の中」ですさまじく

不覚にもその手術の事は、その回の出演交渉をするまで知らなかった。それまで、宮沢氏はレギュラーメンバーとして毎月1回のペースで出演していただいていた。それが、昨年の夏、郵政法案をめぐるすったもんだの果てに衆議院の解散に至る騒動の裏で、胃を切る手術を済ませていたという。そして、電話の先で事務所の秘書は「今はまだ、食事が十分にできない状態で、私達としてはテレビでその痩せた姿をさらしたくないのです」と出演に難色を示すのだ。

しかし、「郵政選挙」の中で「刺客騒動」が「小泉ブーム」のように変わり始め、政治評論家らがしたり顔で次々と小泉総理にエールを送るような状況の中で、ぜひ、「歴史を踏まえた」宮沢氏の「客観的」な分析を視聴者に届けたいとの思いは募った。とにかく、宮沢氏本人の判断を仰いで欲しいと伝え、その連絡を待つことにした。

宮沢氏は人に媚びない。視聴者にも媚びない。しかし、淡々と語る話の中にハッとさせられることが多い。同じく番組レギュラーだった後藤田正晴氏が「宮沢は頭がいい。話をしていて、その時はわからず、後から悪口を言われていたんだと気がついて腹が立つことがあるんだ」と、話していたのを思い出す。落語で言えば、寄席を出て帰り道で可笑しくなるという、あの「後落ち」の域なのだ。後からわかるのだ。

宮沢語録「レーガン元大統領の思いで」(2004年6月13日)

「(晩年、病気になってからレーガン大統領の家に行った時)プールがあるんですね。そこへ、木の葉が落ちるでしょ、それをすくい上げるのを何となく仕事みたいに・・・。しかし、アルツハイマーですから、SPがまた葉を入れておくんですよ。胸が痛むのよね。全体としては明るいんですよ。明るい感じなんだけど、そんなところがね・・・」

レーガン元大統領が亡くなった後の放送で、感想を聞かれて打ち明けたエピソードは、なんともしっとりとしたものだった。「強いアメリカ」を標榜したレーガン氏の、華やかな現役時代とは対照的な晩年の姿。それを見つめる宮沢氏の視線。後で思えば、それは「権力」に対しての宮沢氏の視線ならではの風景にも思えるのだ。

手術をめぐるやりとりがあって、しばらくしてからの事務所の連絡は、我々にとってはうれしいことに、「本人が出ると言うので・・・」という事だった。しかし、番組の構成を練り上げ勇んで事務所に駆けつけた我々は、宮沢氏本人を前に文字通り息をのむことになった。そして、難色を示した秘書の言葉を理解した。ひどく痩せて別人のようなのだ。

後から考えれば、ほんの瞬間だったのだろうが、事務所の宮沢氏の部屋の中で、顔を見合わせて私の方から何と話してよいのか分からず沈黙した時間は、ひどく長く感じた。しかし、本人が出演を了解している以上、我々が余計なことを心配するのは、かえって失礼だと思い、意を決してそのまま何もないかのように番組の構成を説明した。

そして、「我々は今、どこにいて、何を選択することになるのか考えたいのです」と強調した。その途中、1回、無言で席を立った(多分トイレだったのだろう)のだが、ゆっくり立って、しばらくしてゆっくりすーっと戻ると座ってた。その動作の音がしないのである。少なくともそう感じたのである。

いつもなら、いろいろ議論して打ち合わせが進むのだが、その時は宮沢氏は「わかりました」と一言。こちらも、そのある種厳粛な雰囲気にのまれ、なんだか余計なことを話すのは失礼な気がして、「よろしくお願いします」とだけ言い残し、退席した。帰り道は誰も言葉少なだった。それほど痩せていたのだ。

しかし、そんな宮沢氏は司会の岩見隆夫氏を相手にスタジオでは一変した。これまでのスマートなイメージとは別人の宮沢氏がそこにいた。

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