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宮沢語録「プラザ合意が日本社会の節目に」(2004年4月18日)

「1985年。いやあ、私はプラザ合意が契機であったという感じが非常に強いので、ときどきそう言ってみるんだけど、なかなか同意してくれる人がいないんで、これは学説としてはまちがっているかもしれないな、もしかすると。誰も同意してくれない(笑)。

だけどね、僕はその時のことを覚えていますが、あれはあの年の九月のお彼岸ですけど〔1ドル〕242円だったんですよ、円が。それを切り上げたわけでしょう。そして、どれだけやるのか分からないままに、12月には200円になっているんです。わずか3か月ですよ。それで、翌年夏に私は大蔵大臣になりますが、その時は150円近いところにいっている。

それだけお金の値打ちがドカーンと変わってしまって、非常な苦しみでしたけれども。それで、社会全体の基礎が動かないはずがない。ただ金の出来事じゃないんだというのが、私の当時から思っていることなんで、従ってこれは長くかかると思ったが、こんなに長くかかるとは夢にも思わなかった。

が、しかし、まだ終わってないんじゃないかと。そういうことが言いたいんですね」

このターニングポイントに関して宮沢氏は、独自の見解を持つ。戦後の転換点は2つあり、一つは60年のいわゆる「安保騒動」であり、もう1つはこの「プラザ合意」であるというのである。この転換点に「終戦」は入らない。

その理由は「終戦は国民が選んだものではないから。黙ってても、負けたというだけのこと」と言うのである。それに対し、安保騒動は「岸さんという戦前派を代表とした戦前回帰的な権力主義の政治に対する反発だった」とし、安保騒動で戦前回帰が終了したと見る。

つまりは、岸内閣から変わった池田内閣の高度経済成長こそが国民が選んだことであり、宮沢氏は自ら新しいデモクラシーに参画したという自負があるのである。それだけに、安易な市場主義批判は、番組の最中でも容赦しない。政治評論家の岩見隆夫氏がホリエモンに象徴される「市場原理主義」への批判への感想をただした時のことである。


宮沢語録「市場原理主義って・・・」(2006年1月29日)

岩見:「市場原理主義は是認されていないのでは」
宮沢:「市場原理主義ってどういう意味ですか!」
岩見:「ああ・・・自由競争の原理を、やっぱりオーバーに取り入れすぎる、ということだと思うんですが」
宮沢:「ああ、逆にそういうことですか。・・・ああ、まあそういう見方もあるかもしれませんですね。でも取り入れないよりは取り入れた方が良いでしょうね」

宮沢氏にとって、憲法とともに経済活動は国の根本にかかわる問題として存在する。「市場の機能」は国づくりのエンジンとして常に意識されるのである。

まずは、自由競争で経済を活性化させて国を潤わせ、それによる不公平は社会保障で救済していくという考えに立つのである。

現状分析では55年体制の中で社会党の政策を自民党が大幅に取り入れたことで、社会保障は今のところ大丈夫ということになる。それだけに、「統制経済」につながるような動きは許さないのである。

意外に思われたのだが、番組の中でこれからの日本型社会の進むべき道について尋ねた時に宮沢氏は「まあ、少し終盤で狂いかけたけど、まあ小泉さんがやってきたような姿で大体行く方がいいと思うな」と言ってのけたのも、民営化を推進しようとした総理への評価として成り立つのである。

憲法の条文と為替レート。軽武装と経済重視は今でも、宮沢氏の右のお尻のポケットにすっぽりと詰まっているのである。

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