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2019年12月15日「百舌鳥・古市古墳群」

ディレクターインタビュー “謎多き古墳群の秘密を探る!”

2019年7月に日本の23番目の世界遺産として登録された「百舌鳥・古市古墳群」。この新しい文化遺産を長期にわたって取材してきた毎日放送の本郷ディレクターに、古墳の謎に迫る番組について話をうかがいました。

市民に守られ時を超える古墳

──「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録のニュースでは、仁徳天皇陵古墳の映像とともに紹介されていましたが、この世界遺産には他にどれぐらいの古墳が含まれているのでしょうか?

本郷ディレクター(以下、本郷):世界遺産の対象となっているのは、全部で49基の古墳です。百舌鳥エリアと古市エリアという、それぞれ4キロ四方ほどの2つの地域に古墳が密集しています。百舌鳥エリアは23基、古市エリアでは26基の古墳が世界遺産に登録されました。2つのエリアは10キロほど離れていて、大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがっています。

──2つのエリアに分かれているにも関わらず、1つの古墳群なのですね。

本郷:そうなのです。この2つのエリアの古墳は、古墳時代の4世紀後半から5世紀後半にかけて作られた同時代のものなので、1つの古墳群として世界遺産に登録されました。

百舌鳥エリアの仁徳天皇陵古墳(上)と、古市エリア全体(下)の空撮映像。巨大古墳のスケールと古墳群の全体像は、上空からでないと捉えることができません

──番組では、49基の古墳のうちのどれが紹介されるのでしょうか?

本郷:やはりまず百舌鳥エリアにある仁徳天皇稜古墳をお見せします。全長486メートルにもなる前方後円墳で、クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓の1つとされています。そのスケールを感じていただくため、ヘリコプターでの空撮を行いました。今回の番組では、ナレーターの杏さんと一緒に取材をしたのですが、このヘリにも同乗して巨大な古墳群の全貌を見てもらいました。さらに、この空撮映像からも見える古墳の形状について、近年注目の説を取り上げます。

──古墳の形のどこに注目しているのでしょうか?

本郷:前方後円墳の円と四角がつながった部分に少し突き出した「造り出し」と呼ばれる場所があるのです。造り出しの役割には諸説あるのですが、葬られる人が死んだ後、古墳に運び込まれる場所という説をご紹介します。いわば、古墳の入り口ですね。宗教的な儀式が行われる重要な場所であったと考えられています。仁徳天皇陵古墳は立ち入って撮影することができないので、番組では、空撮映像とCGを駆使して、この説をわかりやすく解説します。

古墳の「造り出し」という部分。ここが古墳の入り口で、宗教的な儀式を行う場所であったことを、CGを交えて紹介します

──古墳は立ち入りが許されないところが多いと聞いたことがあります。番組作りは難しかったのではないでしょうか?

本郷:今回特別に、古市エリアの「峯ヶ塚古墳」に入ることができました。杏さんもこの取材に同行しているのですが、この古墳に入るのは、ニュース以外のTV番組としては初めてで、貴重な映像が撮れました。峯ヶ塚古墳には、30年ほど前に、合計12回の発掘調査が行われています。その調査では、王が葬られていた石室が発見され、そこから3500点もの出土品が発掘されました。

──3500点とは、すごい発見だったのですね。

本郷:金属製の刀、ガラス玉でできた首飾りなど、見事な装飾品が出てきました。あと古墳の副葬品といえば、埴輪です。番組では、「近つ飛鳥博物館」に展示されている、高さが150センチほどもある円筒埴輪や、水鳥の埴輪などさまざまな展示物をお見せします。

過去に調査が行われた「峯ヶ塚古墳」からは、首飾りなどの多くの副葬品が出土しました。葬られた人物の権力の大きさがうかがえます

──この時代、4世紀後半から5世紀後半に、このような副葬品が豊富で大きな古墳が作られたのはどうしてでしょうか?

本郷:まず背景には、朝鮮半島の情勢があります。当時の朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済、伽耶といった国にわかれていて、日本(倭)は百済や伽耶と交流がありました。日本は百済と連合を結び、高句麗と戦ったこともあったのです。そうした古墳時代の国際交流の結果、渡来人として朝鮮半島から日本へ来た技術者が住み着いたのが、近畿の西の端であった、現在のこの古墳群のあたりだったと考えられています。

──古墳が成り立ちにおいて、外来の技術が大事な要素の1つだったのですね。

本郷:それと、もう1つ重要だったのは権力の集中です。一般的な説明として、この時代に権力が集中したから巨大な古墳を作ることができたとされていることが多いのですが、実は逆ではなかったかという説もあるのです。これは、ニワトリとタマゴはどっちが先かという問題に近いのですが、つまり巨大な古墳を作るために、さまざまな技術を取り入れ、大きな組織を作り上げ、その結果、強力な中央集権が成立したという考えることもできるのです。

──古墳を作ることで強力な国家が出来上がったという説は、言われてみれば目から鱗です。古墳を理解する上で新しい視点ですね。

本郷:番組では、もう一つ別の視点として、百舌鳥・古市古墳群がどうして現在のような都市部の密集住宅地の中に残っているのか、ということにもスポットを当てています。

──確かに空撮映像を見ても、古墳のすぐ隣に住宅が連なっていますね

本郷:かつて古墳の周囲はほぼ大平原か、森で、時代が下ると田畑になり、明治時代以降、徐々に宅地開発が進み、昭和30年代の高度成長期には、史跡に指定されていなかった古墳は住宅開発の波にさらされました。例えば古市エリアの「津堂城山古墳」は、外側の周濠であった部分は宅地になっています。墳丘部の周囲は解放されていて、現在は市民の憩いの場です。また百舌鳥エリアの「いたすけ古墳」は、もともと私有地であったため、昭和30年ごろに住宅開発業者に売却されてしまいました。一度は、土砂を運び出す作業車両が通るためのコンクリート製の橋までかけられていたのが、保護を訴える市民運動によって土壇場で保存されることになりました。市民が古墳を守っていることを象徴する出来事なのです。

「いたすけ古墳」は、高度成長期に破壊の危機がありましたが、市民運動によって保存されることになりました

──そのときに破壊されてしまったら、今日の世界遺産登録もなかったかもしれませんね。

本郷:そうですね。一回、住宅にしてしまったら元には戻せませんから。古墳を守ることは、埋葬者と、埴輪や装飾品などの副葬品をそのまま未来へ送り届けることになると思います。

──最後に視聴者の皆さんへメッセージをお願いいたします。

本郷:私は大阪に住んでいるのですが、この取材までは古墳のことについて、歴史の教科書に載っている仁徳天皇陵古墳のことぐらいしか知識がありませんでした。しかし今回、番組で取り組んでみると知らないことばかりで、非常に興味深い点が多くあるのがわかりました。お話ししたもの以外に「応神天皇陵古墳」「仲哀天皇陵古墳」「白鳥陵古墳」といったいろいろな古墳の映像もお届けします。視聴者の皆さんも番組をご覧になって、古墳の謎の部分と身近な面があることを楽しんでいただければ嬉しいです。

上から応神天皇陵古墳、仲哀天皇陵古墳、白鳥陵古墳。番組では、さまざまな古墳の映像をたっぷりお見せします!

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