特集

明治日本の産業革命遺産

2015年10月4日放送 100年現役!明治の巨人クレーン

2015年10月10日放送 世界一の鉄道レール!始まりの地へ

100年働き続けてきた巨大クレーン

明治時代から大正時代にかけて、日本の産業の要のひとつとして造船業は発展してきた。スコットランドから導入された技術は、独自の発展を遂げ、いつしか世界でもトップの産業となって日本経済を成長させてきた。長崎港のシンボル的存在でもある造船所の巨大なクレーンは、100年以上経った今でも現役で稼働している。

──最後のテーマは「造船」ですね。番組で紹介する世界遺産を紹介してください。

匂坂:まず、長崎にある三菱長崎造船所を取材しました。ここで目に留まるのは、ジャイアントカンチレバークレーンという巨大なクレーンです。長崎港のシンボルのような存在で、設置されたのは1909年です。かつて「世界の工場」と呼ばれた、英国スコットランドのグラスゴーから輸入されたものです。このクレーン、何と106年経った今も現役なのです。

長崎造船所では豪華客船やタンカーなどの巨大な船舶が製造されています。

──100年以上も前のクレーンが、いまだに動いているというのは信じられないですね。

匂坂:世界的にも貴重なものです。スコットランドでは、「スコティッシュ10」というプロジェクトを立ち上げ、後世に残すべき10の建造物を精密に測量して3Dデータで残す活動を行っています。自国から輸出した、このジャイアントカンチレバークレーンも選ばれています。

長崎港のシンボルにもなっているジャイアントカンチレバークレーン。150トンを持ち上げるクレーンは、106年経った今も稼働しています。

──それほど貴重なものなのですね。スコットランドには同様のクレーンは残されていないのですか?

匂坂:実際にグラスゴーに行って、現状を取材してきました。グラスゴーは造船業が盛んだった場所で、三菱長崎造船所の造船技術もここから導入したものです。昔の写真を見ると、川沿いに巨大なクレーンがズラリと並んでいます。今もクレーンは残ってはいたのですが……、長崎造船所のように現役で稼働しているわけではありませんでした。

──では、製造された場所から遠く離れた長崎のジャイアントカンチレバークレーンは、どうして100年以上も使うことができたのでしょうか?

匂坂:クレーンを支えてきたのは、実は日本で生まれた独自の職人技でした。具体的にどうやってメンテナンスしてきたのかは、番組でご覧ください。実はものすごくシンプルな方法だったのです。

ジャイアントカンチレバークレーンの故郷、グラスゴーを訪れました。川沿いにクレーンが残されていました。

──ジャイアントカンチレバークレーンの謎に注目ですね。造船所の他の見どころを教えてください。

匂坂:三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の玄孫に当たる方といっしょに、三菱長崎造船所の第3ドックを訪れました。1905年に竣工した大型ドックで、現在も稼働しているものです。その方は建築家なのですが、ドックの巨大さを肌で感じてみて、岩崎弥太郎という人物の大きさを初めて理解できたように思ったそうです。長崎造船所は、10月4日の放送で紹介します。

現在も使用されている第3ドック。人の大きさと比べると、その巨大さが分かります。

グラバーと幕末の志士たち

スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーは、さまざまな商品の貿易を行うために来日した商人ですが、日本の近代化に多大なる貢献をした人物でもあります。世界遺産に登録されている長崎の小菅修船場などの建造にも尽力しました。また幕末の志士たちを自費で海外留学させるなど、人物育成の面からも日本の産業革命を支えたました。
(写真)グラバーの住居だった旧グラバー邸