特集

明治日本の産業革命遺産

2015年10月4日放送 100年現役!明治の巨人クレーン

2015年10月10日放送 世界一の鉄道レール!始まりの地へ

幕末の志士たちが生み出した製鉄所

江戸末期から明治時代にかけて急速に近代化していった日本では、大量の鉄鋼が必要とされた。全国に鉄道を敷いたり、近代的なビルを建築するためだ。番組では、その先駆けとして大砲をつくるための鉄の鋳造を行った韮山反射炉と、鉄鋼の大量生産を行うための大型工場である八幡製鉄所を取り上げる。

──エネルギーとなる石炭に続いては、製品である鉄鋼です。番組で紹介する「製鉄」に関わる遺産を教えてください。

匂坂:今回は、静岡県の伊豆半島にある韮山反射炉と、北九州の八幡製鉄所を紹介します。韮山反射炉は、1840年のアヘン戦争に危機感を持った土地の代官が、西洋列強に対抗しようと大砲を鋳造するために建設したものです。一冊のオランダ語の本を頼りに自力で造り上げたもので、実際には国を守れるほどの生産力があったわけではありませんでした。

列強諸国に対抗する大砲をつくるために建造された韮山反射炉。煙突のデザインが特徴的です。

韮山反射炉は、韮山代官の江川英龍の進言で建造が進められ、息子の江川英敏が完成させました。

──小さくても「国を守りたい」という気概を感じる建造物ですね。一方の八幡製鉄所は大規模な工場です。

匂坂:はい。八幡製鉄所は、鉄道レールの敷設や造船、ビルの建設など、大量の鉄鋼が必要となった時期に建設されたものでした。これは当時、海外を視察した伊藤博文や大久保利通といった幕末の志士たちが、外国で鉄道や工場を見て、西洋の技術を導入すべきだと主張していったことが影響しています。ドイツから技術者を呼び寄せ、工場をつくるための資材や機械なども輸入して建造されました。でも、当初はなかなかうまくいかず苦労が多かったそうです。

北九州市の八幡製鉄所は、1901年に操業開始しました。今も現役の製鉄所です。

──言わば幕末の志士たちが生み出した工場でもあるのですね。現在も稼働中の八幡製鉄所ですが、建造当時のものは残されているのでしょうか?

匂坂:1901年の創業時の4つ施設が世界遺産に登録されています。そのひとつに、工場の大型機械などを修理するための修繕工場があるのですが、個人的には、この工場を支える鉄骨に残されていた刻印が印象的でした。

八幡製鉄所の旧本事務所。イギリス式の赤煉瓦の建物は左右対称のデザインで、中央のドームが特徴的です。普段は公開されていない中の様子も紹介します。

──それはどのような刻印なのですか?

匂坂:修繕工場は1900年の建設後に二度拡張されていて、そのときに使用された鉄鋼には製造元の刻印が残されています。建設時はまだ鉄鋼がなく、ドイツの鉄鋼を輸入してつくりました。その後の拡張工事のときもまだ満足に鉄鋼が生産できておらず輸入した鉄鋼が使われました。そのため工場の鉄骨にはドイツ企業の刻印が残されています。二度目の拡張工事でようやく「YAWATA」という刻印が入った、自分たちで作った鉄鋼を使って建てることができたのです。その刻印を見たときには、それまでの苦労が忍ばれてとても感動しました。韮山反射炉と八幡製鉄所は、10月11日の放送でお送りします。

八幡製鉄所の修繕工場では、操業開始時から稼働しているクレーンが、今なお使用されています。