特集

地球史を知る

石渡ディレクターインタビュー

Q:他に見どころとなるポイントとは?

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今回はヴィクトリアの滝に関連して、ザンビアのロジ族にスポットを当てました。彼らはザンビア最大、毎年5万人の人々が集まるという「クオンボカ」、乾いた土地への引っ越しという意味のお祭りを200年も前から行っています。その内容は、現在でもロジ族に存在する王様が川が氾濫原となり水没してしまう王宮から、船に乗って別の王宮へと一時的に引っ越しをするという儀式のようなもの。
一艘の船に王様と124人のパドラーが乗り込み、6時間かけて氾濫原となった川をゆっくりと渡っていきます。カトマンズのクマリのように、山車に乗って街を練り歩くことで民衆が喚起するという日本の神輿にも近いのかもしれませんね。
ロジ族の場合はそれが道ではなくて川であり、山車が船。これはザンベジ川が少なくとも200年以上前から毎年氾濫していたことの証であり、氾濫がなければ存在しないお祭りです。でも、歴史を証明する伝統的な儀式ではあるんですけど、船に乗っている張りぼての象の耳や鼻などがパタパタと動いていたり、王様の船の後を追いかける100槽近い民衆の小船同士がぶつかってしまったり。
番組内ではスムーズに着岸したような映像になっているかと思うんですけど、実際は漕ぎ手のパドル技術を見せるというのもひとつの魅力なので、到着地点では1度着いたのに少し戻ってまた着岸するというパフォーマンスを何度もしてみたり。(今年は調子が良かったのか4回くらいやっていました)
そんな感じのほのぼのというか、何だか笑いどころのあるお祭りでしたね。

Q:撮影は船で?

水陸両方から撮影しました。船での撮影の際には、「モーターボートは葦に絡んですぐに動かなくなるからダメ。6人乗りくらいなら漕ぎ手が3人いれば十分だ。」って言われたんですよ。何度も「124人で漕ぐ船に3人で追いつけるのか?本当か?」と聞いたんですけど「大丈夫だ」と言うので手配したのですが、案の定当日追いつけなくて(笑)。
しかも漕ぎ手のうちの一人はよぼよぼのおじいさんみたいな人で、ちょっと漕いだら「疲れたからもう漕げない」なんて言うんです。もうこっちとしては撮影自体がアウトになりそうな雰囲気だったんですけど、王様の船を追いかける小舟の人たちにチップ付きで頼んでみたらあっという間に漕ぎ手が10人に! おかげで並走して撮影する事ができました。
あと、びっくりしたことが一つ。こういう素朴なお祭りを撮影していると文明という言葉から遠ざかっているように思えるんですけど、携帯だけはみんな持っているんですよ。お祭り期間中、とにかく駐車場は車でごった返していたので、僕たちはドライバーさんに車で待っていてもらって取材終わりで呼ぼうと計画していたんですけど、いざ連絡を取ろうと思ったら回線が混線&パンク状態でまったくつながらない。おかげで車と合流できなくて大騒ぎになりました。みんなジュースを買うお金は惜しむのに、携帯だけはかなりの割合で持っている人が多いんですよね、不思議と…。

Q:番組をご覧の皆様へ

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もちろん、僕がこのロジ族のクオンボカを通して皆さんに感じてもらいたいのは、お祭りの面白い面や携帯の話ではありませんよ(笑)。
先ほども少しお話したようにザンベジ川は氾濫原と言って、道が消えてしまうほど水が氾濫するんです。セスナで上空から見たんですが「昔のナイル川も、こんな状況だったんだろうな」という事を彷彿させるような風景でした。その時期は周辺の家も完全に水没してしまうので、少し高くなっている道路上に仮テントのような家を建てて、寝たりするそうです。毎年の事なのに何でここに住み続けるのだろう?と思いますけど、昔から大河の周りに文明が栄えたように、水が引いたあとに残る肥沃な土地などザンベジ川からの恵みをたくさん受けているので、この地に留まり続けているんでしょうね。
地球ってたまたま条件がそろうと「何で?」という地形を残しますよね。以前放送した「ウルル=カタ・ジュタ国立公園」や「サガルマータ国立公園」などもそうですが、ヴィクトリアの滝もまさにこの言葉が思わず出てしまう本当に不思議な地形です。その姿を目の前ではっきり見ることができる。それだけでも十分今回の見どころだと思います。
でも、イグアスの滝などのように上流にダムを建設して水量を調節してしまっている場所もあると思いますけど、ここはそういうものが一切ないので、氾濫するがまま。1980年代初頭に護岸工事の話が持ち上がったらしいんですけど、規模が大きすぎるし、200年続いているクオンボカができなくなるという理由から、その計画はなくなったそうです。
このお祭り自体が世界遺産と直結しているわけではないのですが、上流の氾濫原を見ることによって、ヴィクトリアの滝の水量の多さが分かる。そして、滝の先端だけ見ても分からない、水と共に生きる人々の姿を見ることで、ヴィクトリアのまた違った表情をお見せする事ができるのではないかと思っています。