特集

日本の古都スペシャル

畠山ディレクターインタビュー

畠山ディレクターインタビュー

Q:今回、数ある奈良の世界遺産の中で東大寺の「お水取り」にスポット当てたのは?

日本の古都スペシャル

「お水取り」は、752年に大仏の開眼供養が行われた年から始まって以来、今年で1258回になるそうですが、一度も途切れずに続いている行(ぎょう)です。大仏を造る時に聖武天皇が、「平和な世の中を作るために、みんなで力を合わせて作ろう」という気持ちを大仏造立の詔として発せられ、国民に呼びかけた。そして東大寺が出来上がっていくのですが、その時の「皆のために、皆で何かを作ろう」という気持ちが形だけでなく、メンタルの部分で今も受け継がれている。「お水取り」は、お寺が行う大々的な行事という事だけではなく、精神性が今も聖武天皇の気持ちや考えにリンクしているということに魅力を感じ、今回取材させていただきました。
もちろん、「お水取り」という行事を皆さんに理解していただくために、東大寺の歴史の紹介や大仏造立の経緯、「平城京」という大きな括りの一部として、興福寺と元興寺なども少しですが紹介する予定です。

Q:「お水取り」とは具体的にどんな行事なのでしょうか?

日本の古都スペシャル

お水取りは正式には「修二会(しゅにえ)」と言います。旧暦の2月に治められていた法会で、二月堂の舞台で燃え盛る松明の映像をニュースなどで見たことがある方が多いと思います。奈良に春を呼ぶお水取りとしてよく紹介されるシーンです。でも、実はその光景は行事のほんの一部なんですよ。灯した松明の明かりに導かれた僧侶の方々が、中でお勤めをするというのが本来の行の姿。しかも1日だけでなく、3月1日〜14日まで2週間に渡って行われているというのは、意外と知られていないことかと思います。
「修二会」は天下泰平、万民快楽を祈る行。練行衆(れんぎょうしゅう)という11人の僧侶達が、自分の過ちを懺悔(さんげ)し、それと同時に世の中の人々が犯した過ちを懺悔します。その上で日本が平和な世の中になるようお祈りをしてくださるということが目的です。その途中途中に、最初に少しお話した松明を灯すことであったり、「走りの行法」「達陀(だったん)」など神秘的な行が付帯しています。

Q:取材中に感じたこととは?

日本の古都スペシャル

なかなか見ることのない世界ですから、やはり刺激を受ける部分がありました。
中でも一番心に残っているのは、番組でも紹介する「修二会」の中に息づく人々の輪というか、周りで支えるたくさんの人の存在。例えば松明に使う約7〜8mの竹は奈良県の北にある京都府京田辺市から、達陀(だったん)松明用の薪は三重県の名張市から。他にもたくさん、お寺に何らかの形で関わっている周辺の人たちが支えあい、単なる形式や義務でなく自分の事としてひとつの行事を作っている。形は違うけれど、聖武天皇が大仏をみんなで作ろうとした時の思いは引き継がれている。だからこそ1250年間続いているんでしょうね。そういうシーンをいくつか取材しながら見るうちに、「東大寺というのは生きている寺なんだ。」非常に抽象的な言い方ではありますが、そう思いました。価値のある仏様が祀られたり、歴史的建築物が残っている素晴らしいお寺も日本にはたくさんあると思います。それらももちろん、生きている寺と言えると思うんですが、ただ、僕は今回修二会という東大寺の重要な行を取材させてもらい、1250年間続く精神性から生まれる繋がり。そこから「寺自体が生きている」という事を感じました。

Q:番組をご覧の方にひとこと

日本の古都スペシャル

Q:番組をご覧の方にひとこと 「修二会」には、何とも言えない不思議な魅力があります。例えば行の間履いていた下駄のような差懸(さしかけ)という履物を脱いで足袋はだしで、ご本尊・十一面観音像がある須弥壇(しゅみだん)の周りを走る「走り」の行法。火天に扮した練行衆が二月堂内陣の天井を焦さんばかりに燃え上がる松明を抱え、水天に扮した練行衆と舞いのような跳躍を繰り返す「達陀」。シンと静まったり、お堂に響き渡るほど大きな音が鳴ったり、鈴やホラ貝などが鳴ったり。そういう不思議で視覚や聴覚を刺激する神秘的な要素もあれば、今我々が生きている中で直面している様々な問題についての解決の糸口のようなものを、阪神淡路大震災、自然破壊や地球環境など具体的で現実的な言葉を交えて観音様にお祈りしてくれる「大導師作法(だいどうしさほう)」というとても静かな行もあります。この行は、走りの行法などに比べると、見た目は地味かもしれません。でも身近な言葉が耳に入る度に「本当に僕たちのことをお祈りしてくれているんだ。」とハッとしたりするんです。
「地球上で過ちを犯しているのは人間だけなのに、現代人は罪の意識が薄い。古代の人々は、地震やら日照りやら疫病が流行ったら神様にお祈りを捧げていた。それは自然に密接で地球で生きることに対して謙虚な姿勢を持っていたから。そういう気持ちを現代人は無下にしがちだけれど、とても大切な気持ちなんです。」というような話を練行衆のお一人がして下さいました。ついつい僕らは科学や医学の発達で、そういう精神面からは乖離(かいり)的であったりします。でも正直、現代社会ではそういうことを思ったり、気づくことって難しいですよね。でも、心からそう思っている方々が、そしてその考えに賛同した方々が集まって協力しながら行っている「修二会」だからこそ、僕も素直に理解できました。何が変わったということではないですけど、今回、取材を通してそういうことを気づけたというか、発見し感動する事ができた。この気持ちを番組でうまく皆さんに伝えられたらいいなぁと思っています。