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11月16日放送 インドの山岳鉄道群:ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インド)

インドの山岳鉄道群:ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インド)

尾賀ディレクター:
世界遺産の中で鉄道のサイトはスイスの「レーティシュ鉄道」と、先日放送したオーストリアの「ゼメリング鉄道」、そして今回のダージリン・ヒマラヤ鉄道(「インドの山岳鉄道群」)と3つあります。
中でも今回放送するダージリン・ヒマラヤ鉄道というのは、トイ・トレインの愛称で親しまれているアジア最古の山岳鉄道。もともとはイギリスの植民地時代だった頃に、紅茶産業や避暑地としてイギリス人たちが行き交っていた場所への交通手段として作られたものです。その名の通り高い所で標高2000m近いルートを走るので、とにかく景色がすばらしい!
特に今回の撮影では、ダージリンの街からのぞむ世界第3位の高さを誇るカンチェンジュンガ(8586m)を撮影することができました。これがなかなかの絶景なので、ぜひ見ていただきたいですね。それだけでなく、澄んだ空気と一面に広がる豊かな自然の映像を見てもらえば、「なぜ標高の高いこんな場所に避暑に来たのか?」という気持ちもよく分かると思います。 そんな美しい景色に絡めて、「地元の人たちを通して見るダージリン・ヒマラヤ鉄道」というテーマを少し念頭に置いて、作りました。鉄道としてはそれだけで十分に価値があるのですが、実は乗車率はあまり良くないんです。車の方が断然時間を短縮できるので、地元の人はあまり乗らず、利用する大半は観光客。それなのに、ダージリン鉄道の機関士さんは誇りを持って運転しています。そして地元の人達も、機関士という職業に対して尊敬と憧れを持っているんです。それにはインド特有の文化とでも言いましょうか? とても深い理由があるのですが、詳しくは放送を見てからのお楽しみ(笑)。でも、僕はその理由を教えていただいた時、ダージリン鉄道が今まで守られ走り続けることができた理由のひとつは、この事に通じているのではないかな?と感じました。
あとは、蒸気機関車の良さと言いましょうか。その走る姿を撮影したのはもちろんのこと、小さなカメラを仕込んで車輪の細部を撮ったり、汽笛や車輪が回る独特の音にもこだわってみました。そういうビジュアル的な面と運転手さんの目線から、今の時代に蒸気機関車が走るという事の意味を何か汲み取ることが出来たらいいなと思っています。
まぁ色々と言いましたが、そんなに深く考えず景色や鉄道を見てもらうだけでもいいんです。僕は今回取材に行って、意外と日本人にとって懐かしく思える場所なんじゃないかなと思いました。山の麓の方はインド人らしい顔付きの人が多いんですけど、2000m近くなるとネパールの方だからか、顔がまるっきり違う。それだけでも何となく親近感があるんですが、個人的には長野県出身なので、山のある風景というのは故郷を思い出すと言うか…。食べ物もショーロンポーのような「モモ」という料理があるんですが、その皮はまさに長野名産のおやき。家庭の畑で取れるような野菜を詰め込んで作るところなんかもそっくりで、同じ山の恵で生活しているような土地柄で作られる料理は世界共通なのかもなぁなんて思ったりして。そんな感じで、どこか自分が懐かしいと思える風景を探すだけでも十分に楽しんでいただけるのではないかなと思います。

11月23日放送 シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)

シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)

世良ディレクター:
今回の見所は、何と言っても「古城の美しさ」というのがまずひとつです。もともとは自分たちの領土を守るための要塞として、ロワール川を中心に城が次々と建っていったのですが、その数たるや約140!
可愛らしい城、いかにも要塞らしい城、上はシャトーという感じの気品があるのに土台はゴツい城壁というギャップのある城に、森の中にボンと建っている不思議な城。どれも個性豊かで見ているだけでも非常に面白いです。
ですが、どうしても古城というとビジュアルのインパクトが強いせいか、無人の建物というイメージがあると思います。が、それを建てて住んでいた人がいて、そこには様々な人間ドラマが詰まっていたわけです。中でも、イタリアから流れてきた文化がロワールで大きく発展し、後にフランスの宮廷文化へ繋がっていったという事をご存知でしょうか? 今回は、皆さんよくご存知のレオナルド・ダ・ヴィンチ、メディチ家から嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスという女性。イタリアからロワールにやってきたこの2人にスポットを当てて、フランスとイタリアの歴史にも少し触れてみたいと思っています。ですが、歴史といっても小難しいようなものではありません。例えば、フランスの王様がわざわざダヴィンチを呼び寄せて毎日のように語り合い、その内容に影響を受けて城もイタリア式になっていったとか。話題的には少しはずれますけど、名画・モナリザはなぜフランスの所有物となったのか?とか。あとは、カトリーヌのいた時代にテーブルの文化がイタリアから来て、それまで手づかみで料理を食べることが普通だった文化から、フォークとナイフで食べるといういわゆる宮廷マナーの基礎のようなものができたなどなど、当時流行の最先端であったイタリアの文化が様々な形で反映されていたそうです。実は舞踏会もそのひとつ。偶然にも滞在中に、イタリアから来たルネッサンス式の舞踏会を再現するというイベントの日と重なり、撮影することができました。シャンボール城に300人ほどが集まり、当時の城の中で当時の衣装を着て、当時の料理を食べ、当時の音楽に合わせて、当時のダンスを踊るというまさにルネッサンス尽くしの内容。ダンス自体は、いくつかの輪になって、パンと手をたたいてその場でジャンプしたりと不思議な感じでしたが、当時はみんな熱狂していたんでしょうね。皆さんも、古城で繰り広げられたであろう当時の人間ドラマを想像しつつ、舞踏会の映像を楽しんでみてください。