ジャコメッティ展

著名人からのメッセージ

ジャン=フランソワ・パロ駐日スイス大使

国立新美術館で開催される「ジャコメッティ展」は、今年日本国内で開催されるスイス文化行事の中で、最も重要なイベントのひとつです。
芸術史における巨匠アルベルト・ジャコメッティは、どのジャンルにも属さない独自のスタイルを確立いたしました。彼は自身の道を模索しつつ、同時代の大きな哲学的課題にも向き合っています。展示される約130点の作品の中には、彼の象徴的な作品「歩く男」も含まれており、ジャコメッティのユニークな芸術性と世界観に触れることができるでしょう。私は、この偉大なスイス人彫刻家が、国立新美術館開館10周年記念展に選ばれたことを光栄に思っております。

速水 もこみち(俳優・本展音声ガイドナレーター)

美術展の音声ガイドのナレーションは初めての挑戦です。ジャコメッティたちの想いを伝えられるよう、自分なりに考えて読みました。
ジャコメッティについては、深くは知りませんでしたが、「歩く男Ⅰ」はすごいフォルムだと思っていました。削れるところまで削っている、ありそうなのにオリジナルなシルエット。無駄をそいだきれいな線が印象的です。実際に見たことはまだありませんが、どの角度から見てもいろいろ感じることがあると思います。
ジャコメッティ展、みなさんも、会場に足を運んで、作品からたくさんのインスピレーション、アイディアなど感じてください。僕のナレーションが、そのお手伝いをすることができればと思います。
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川井 郁子(ヴァイオリニスト、本展テーマ曲作曲・演奏)

ジャコメッティの作品と対峙すると、孤高な魂と彷徨う心が混在しているのを感じる。
逞しさと脆さ、東洋と西洋…相反するイメージを抱えながら、存在する人。
本質を捉えようとして、近づくほどに、見るほどに、本質から遠ざかっていく…という一つの真理に、辿り着くような気がする。
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山田 五郎(評論家)

ジャコメッティの代表作がこれほど多く揃うことには、単に貴重な機会という以上の意味がある。比べてみれば、針金のように頼りなくどれも同じに見える彼の彫刻が、実はそれぞれに異なる個性と確かな身体性を秘めていることに気づくはずだから。しかもその個性と身体性は、モデルが同じでも作品ごとに全て違う。ジャコメッティの目は、すでにある対象をとらえない。対象は、彼が見ることによってはじめて形をなし、彼が見るたびに形を変えるのだ。つまり、彼の彫刻は生きている。
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植田 工(アーティスト、イラストレーター)

アルベルト・ジャコメッティといえば「あの細い人間の彫刻」で有名ですが、その造形は一度見たら忘れないほど特徴的で美しいものです。20世紀を代表するジャコメッティの彫刻作品は、どこか寂しさを湛えながらも、唯一無二の存在感を放っています。ジャコメッティの作品には、わかりやすい派手な装飾性はありません。むしろ徹底して装飾は取り除かれ、人体からはその肉塊までもが削ぎ落とされています。ギリギリまで細く、ギリギリまで小さく、ときには壊れてなくなってしまうことがあるほどです。そんなジャコメッティの作品はどのようにして生まれてきたのでしょう。今回はジャコメッティの人生を訪ねて、その創造の手がかりを探してみます。
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栗原 類(モデル・俳優)

彫刻に刻まれているギザギザしたディテール、絵画では人間のパーツを小さく表現しているけど、その中にも立体的なビジョンが存在している。一度見たら癖になって思わず見返したくなるような展覧会です。僕も多分4,5回は見に行くと思います。

小林 康夫(東京大学名誉教授)

ジャコメッティは、わたしにとって、人生の〈羅針盤〉であった。
学生時代に読んだ矢内原伊作の『ジャコメッティとともに』一冊が、それまで物理学を志していたわたしの心をきっぱりと「パリ」へと方向づけてしまった。
そして、それとともに、「激しさ」を学んだ。
美とは、なによりも人間の限界をぎりぎり突き破る「激しさ」なのだということをわたしは学んだ。激しくないものは美しくない。ジャコメッティの作品を見るわたしたちの眼が激しさをたたえていなければ、かれと出会ったことにはならない。 かれの作品と向かいあって、わたしは作品と同じように、垂直に屹立する。 (写真は、2012年11月、かれの故郷の村スタンパを訪れたときのものです)。

近藤 サト(フリーアナウンサー・ナレーター)

ジャコメッティの作品はおしゃべりで、”ものを見るすべを知っているか?” と聞いてきますから、こっちはあらん限りの力であらゆる角度から見るわけです。
すると、「Merde! (くそっ)!」 と作品を前に自分をののしる彼の声が聞こえてくるんです。
狭くてごちゃごちゃしたモンパルナスのアトリエも眼前にあらわれます。
だから、たとえ私がサルトルの実存主義について知っていることがあまりに少なくても ”ありのままの” 人間を描こうと苦心し具現したいくつもの未完の答えを同じ地平に立って知ることができるのです。これこそ真にすぐれた芸術です。

酒井忠康(世田谷美術館館長)

私にとって、見る――ということの不思議を教えられたのは、間違いなく、ジャコメッティの彫刻だった。弟のディエゴの胸像が、近づいたり、遠のいたりして見えたことがあった。今度も2.76mの《大きな女性立像Ⅱ》と8.9cmの《裸婦小立像》を見くらべて、私は行ったり来たりした。妙なことだが、私の目のなかでは同じサイズに収まっている。

辛酸 なめ子(漫画家・コラムニスト)

自分の作品に満足しなかったジャコメッティ。常にデッサンする癖があって紙がなくてもエアーデッサンしていたジャコメッティ。シリアスに見えて実はジョークも好きだったジャコメッティ。作品が魅力的なだけではなく、本人のキャラクターにも魅了されます。一見無骨で細長い彫刻も、よく見たらスッとした姿勢で天とつながって、高次元から地球まで一貫したエネルギーが流れているようです。

冨井 大裕(美術家)

彼の作品とは、なるべく離れたところから「接して」いたい。何故ならば、近づくと「惹きつけられる」から。これは、僕が感じている彫刻の魅力そのものです。今回、思いっきり近づける機会が生まれてしまいました…危険です!
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中村 剛士(青い日記帳 アートブロガー)

人間が記号化され、個を見出すことが困難な時代でもがき苦しむ我々に、触れば折れてしまいそうなほどか細いジャコメッティの彫刻が、大事な生きるヒントを与えてくれるなんて信じられますか。

袴田 京太朗(彫刻家)

「なりふり構わず自由奔放に自分の世界に没入した男」、ジャコメッティがカッコイイのはそういうところ。だったら僕らも彼にならって、この展覧会の作品群を簡単に「凄い」って決め付けないで、もっと自由奔放に観たっていい。そこから自分の世界に通じる何か、たとえば「欲望」みたいなものを見つけたいと思う。
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林 綾野(キュレーター)

すーっと細長いジャコメッティの彫刻は美しく、もっといえば格好が良い。そしてその存在感は凄まじい。芸術作品と向き合うとき、私たちは他では感じることのできないリアリティと出会うことができる、彼の作品がそれを教えてくれました。

保坂 健二朗(キュレーター)

いろんな人とつながればつながるほど逆に孤独は増していく……そんな感覚に蝕まれている今の時代こそ、ジャコメッティの作品は響くはず。自分の立つ位置が、この世界の中心なんかではなく、片隅ですらなく、どこでもない場所だとわかってしまった時、僕らはどんな顔をして、どんな風に立って、どのように歩き出せばよいのか。彼はその答えを、人間の芯を探し求めながら見つけ出そうとした。だからこの展覧会は、できればひとりで見てほしい。

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