ジャコメッティ展

ジャコメッティのアトリエ

スタンパのアトリエ

ジャコメッティの故郷は、スイス南東部、イタリア国境に近いアルプスの山間にあるスタンパという小村です。メラ川のほとりに建つ家々を取り囲むなだらかな斜面には、羊や馬が草を食むのどかな風景が今も広がっています。斜面を少し上ると、大きな岩がごろごろと転がっていて、その中に、巨岩が重なってできた小さな洞窟がありました。幼いジャコメッティはこの石に魅了され、身をかがめて内部の空洞に入り込み、この上ない喜びを感じていたといいます。また、斜面のさらに上方には、まっすぐに伸びる細い幹の樹々が林立していました。子どものときに見たこの「石と樹」は、原風景としてジャコメッティの記憶の中に留まり続け、のちに制作した彫刻作品のいくつかにも、それは宿っています。また、スタンパの村から上空を見上げると、彼方にアルプスの山々がくっきりと浮かびあがりますが、ジャコメッティはその峰を描いたデッサンも残しました。

ジャコメッティの父ジョヴァンニは、生前からスイスで高く評価された画家でした。スタンパの家に隣接する納屋を改造した小さなアトリエには、ベッドやテーブルといった慎ましい家具と、吊りランプが設えられていました。この場所で制作する父の傍らで、少年ジャコメッティは身近なもののデッサンから始め、やがて絵画や彫刻を制作するようになります。故郷を離れて、パリで暮らすようになってからも、ジャコメッティは、母アネッタの暮らすこの村に頻繁に帰省し、父の死後も残されたアトリエで、写生による制作に没頭していました。

スイスの小村スタンパ (2016年撮影)

ジャコメッティのアトリエ、スタンパ (2016年撮影)

パリのアトリエ

ジャコメッティは、1926年、弟のディエゴとともに、モンパルナスのイポリット=マンドロン通り46番地のアトリエを借ります。その後、アネットと暮らすようになっても、金銭的に余裕ができても、生涯この場所を離れることはありませんでした。建物の門を入ると細い通路があり、右側は鋳物職人をしていたディエゴのアトリエ、向かいがジャコメッティのアトリエ、その隣の一室が居間と寝室を兼ねた部屋でした。ジャコメッティの気さくな人柄もあってか、訪問客は後を絶たなかったようです。そして彼らはみな、類まれな作品の数々が生み出されたアトリエの簡素さに驚き、子細に言葉を紡いでいます。

美術批評家のピエール・シュネデールは「14区の奥、狭い通路にしか見えない中庭に面した、極めて小さい、埃だらけの、壊れかかったアトリエ」と形容し、ここでポーズをとった矢内原伊作は「アトリエといっても採光などは全然考慮されていない物置のような小さな部屋」と回想しています。また、作家のジャン・ジュネは、「このアトリエと部屋以外に、住まいを持つことはないだろう」という彫刻家の言葉を伝えていますが、写真家ブラッサイも、「手の届くところにひとくれの粘土があり、3、4枚の画布と画用紙があれば、彼の幸福には十分」ということを見抜いていました。ジャコメッティは、昼過ぎに近所のカフェで遅めの朝食を取り、午後いっぱい、時には深夜までアトリエで仕事をした後、再び夕食のために出かけ、友人たちと議論を交わすという生活をくる日もくる日も送っていました。モデルが帰った後、記憶を頼りに夜通し仕事を続けることも少なくなかったようです。ブラッサイは、この彫刻家の死に際して綴った短いテキストを、こんな言葉で締めくくっています。「奥には15年来、あの同じむき出しの裸電球がある。恐らくはこの界隈の家々で、ふだんは夜明けにならないと消えない、たったひとつの明かりが…」。

ジャコメッティが暮らしたパリ・モンパルナス界隈

  1. ルーヴル美術館
    古代彫刻や西洋絵画を見るために、ジャコメッティはルーヴル美術館をよく訪れ、ときに模写も試みた。
  2. マーグ画廊
    1945年創業の画廊。ジャコメッティのほかに、シャガールやブラック、ミロ、レジェらの作品も扱った。
  3. カフェ・ド・フロール
    アンドレ・ブルトンをはじめとしたシュルレアリスムの作家たちが集ったカフェ。ジャコメッティも常連だった。
  4. シェ・リップ
    ジャコメッティ夫妻と矢内原伊作、シャンソン歌手の石井好子がそろって食事をしたレストラン。
  5. ラ・クーポール
    1927年に誕生した、アール・デコ装飾の内装が特徴的なカフェ。ジャコメッティをはじめ、ピカソやダリら芸術家たちの集まる場所となり、サルトルも足繁く通った。
  6. アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール
    ジャコメッティが20代の前半に通った私立の美術学校。
  7. カフェ・デュ・ドーム
    矢内原はここでコーヒーを飲んでから、ポーズをとりにジャコメッティのアトリエに通ったという。
  8. アダム
    モンパルナスの老舗画材店。ジャコメッティはこの店で彫刻の材料を調達していた。
  9. ジャコメッティのアトリエ
    ジャコメッティが1926年以降暮らしたイポリット=マンドロン通り46番地のアトリエ。

ジャコメッティのアトリエ、パリ (2016年撮影)

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