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水曜劇場 夫婦道

水曜よる9時


ザ・お茶道

番組でお茶指導を担当する“極茶人”比留間嘉章氏が、お茶に関するウンチクやよもやま話を紹介するコーナー。ここをチェックすれば“お茶ツウ”になれる!?

第1回目のテーマ お茶の歴史について

日本にお茶が伝わったのは…?
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中国で生まれた“喫茶の文化”ですが、これが日本に伝わったのが、中国文化を取り入れるために遣唐使を派遣していた奈良〜平安時代の頃に、最澄(天台宗の開祖)や空海(真言宗の開祖)など、中国へ渡った留学僧が持ち帰ったと考えられています。また、奈良時代の初期にあたる天平元年(729年)に、僧侶が聖武天皇へお茶を謙譲したという記録も残っているそうです。

それから数百年を経た鎌倉時代には、臨済宗の開祖として知られる栄西が、留学先の宋でお茶の薬効を知ってその種子を持ち帰り、お茶の効能を説いた『喫茶養生記』を著しました。

なお、栄西が1191年に持ち帰ったお茶の種子を蒔いたと伝えられているのが、佐賀県と福岡県の県境にある背振山の、佐賀側の中腹にあった霊仙寺というところ。残念ながら1872年(明治5年)に閉山してしまい、現在は「乙護法堂」と呼ばれる小さなお堂と、その脇に立つ「日本最初之茶樹栽培地」の石碑ほか、石垣などが往時の面影を残すのみとなっています。

日本にお茶が伝わって間もない頃、薬として扱われていたことが『喫茶養生記』により知ることができます。当時のお茶は、貴族階級や僧侶など、一部の人たちにしか口にできない希少なものでした。その後、時代の変遷とともに武家社会にも喫茶が広がり、安土桃山時代には千利休が茶道(茶の湯)を確立させ、一つの文化として認知されるようになりましたが、庶民の間で喫茶が一般的になるのは、それから数十年後の江戸時代に入ってからのことで、徳川8代将軍吉宗の頃には、茶葉を蒸して揉むという、現在の製法に近い製茶方法が考案されたようです。

比留間嘉章(ひるまよしあき)プロフィール

1977年に「茶の世界」に入ると、深蒸し茶の製造を中心に手揉み茶、微発酵煎茶の製造に取り組む。氏が作り上げた究極の淹茶法「八重奏(ヤエノカナデ)」は「これがお茶の味か!?」と、誰もがビックリするはずだ。
全国手もみ茶振興会理事、埼玉県手揉茶保存会会長、狭山火入れ保存会会長、全国手もみ茶振興会認定師範、
日本特産農産物マイスター「手もみ製茶」、日本茶業中央会認定「日本茶インストラクター」
HP「極茶人のこだわり」http://hiruma-en.ddo.jp/