〜10人の脚本家と10組の名優が贈る、10の物語〜

2014年7月13日スタート日曜よる9時

あなたの“おやじの背中”

人にはそれぞれの「おやじの背中」がある―――。
あなたとお父さん(またはお父さんのような存在の方など)との思い出に残るエピソードをお送りください。
たくさんの書き込みをお待ちしています。

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とにかく『無骨』という言葉の似合う父でした。
仕事に関してはとにかく生真面目でしたが、
子供に対して気の利いた言葉もなく、
いつもひくーい声で相槌をうつだけ‥‥‥。
お酒を飲むと少しだけ陽気になって、
おんなじ話を延々と繰り返しては、
まわりにため息をつかせていたけれど、それでもそんな少しだけ雄弁な父が好きで、お酒を飲んでいるときは進んで傍に行ったものでした。
今思うと普段取りづらい親子のコミュニケーションを、その時間で取り戻してたのかな‥‥‥

わたしが父を思い浮かべるときに真っ先に思い出すのは、仕事で真っ黒に日焼けして皮も分厚くなってゴワゴワした大きな手。
猫背で丸くなった背中に寄りかかった時の安心感は、今でも鮮明に思い出せます。
あの手で、あの背中で、確かに家族を守ってくれていたんだと、
言葉じゃなく肌で感じるようになったのは自分が子供を産んでからでした。

ゆう () 女性 2014.8.18 (月) 22:14:23

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オヤジは62歳の時、交通事故で亡くなった。
それは突然の事、俺が29歳の時。
子供か好きで、近所の子供を背中におんぶしていたな。
その時、俺は独身で孫を見せられなかった。
今、俺も50歳。
中学3年の長男と小6の長女の親となったよ。
きっと生きている時に孫に合わせていたら
本当に目の中に入れていただろうと思うよ。

トシ (50) 男性 2014.8.17 (日) 22:36:50

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私が4歳の時離婚しました。
覚えているのは、保育園へ自転車に乗せてもらっている私
お漏らしして、母の背中に隠れて泣いている私
この2つだけです。
結婚してからは、家庭の中の父親の存在がわからなく、このテレビを見て父親ってなんだろうなぁと思う日々です。

tairan-blue (40) 女性 2014.8.17 (日) 14:28:42

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私の家は、いろいろな事情があり父、母、私、弟、母方の祖父母、曽祖母の7人暮らしだ。
でも、父と母は半ば家庭内別居状態。
母方の祖父母たちと反りが合わず、おまけに感情の起伏が激しい父は、些細な事で怒鳴り、そんな父に気の弱い母は何も言えず、それを見た祖父母が眉を顰め、ますます溝が深くなるという悪循環……
もちろん、私も父には愛想を尽かしている。

しっかり父親と子が言わなければならぬ事を言い合い、それによってお互いが少しずつ歩み寄って行くーーこのドラマのような関係を築いていけたらいいのに、と、無理だと分かってはいるが思ってやまない。

アンヌ (14) 女性 2014.8.15 (金) 20:35:04

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私の父は結婚前に結核のため手術を受け、背中に大きな傷がありました。父親の背中はみんなそうなのだと子供の頃は思っていました。一緒にお風呂に入って背中を流してあげるのが大好きでした。亡くなる半年前、学校で倒れた私を抱きかかえてくれました。父は自分より相手を大事にする人でした。父の亡くなった歳をゆうに越えた私。何をめざしていけばよいのか…父からの答えがほしい今の私です。

迷える母・娘・妻 (52) 女性 2014.8.15 (金) 19:38:28

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父と母とは、絶縁してます。
私は脳のセロトニンの分泌異常の病気
を患いながら、子供2人育てています。
父は私が幼い頃から、パチンコばかり
で家には、遅くにならないと、帰ってこない。

母は、感情の起伏が激しい人で、
弟を愛する人、私は長男だったので、
突き放された感じで育ちました。
あなたは長男だから、こうしなければ
いけないという、強迫観念を植え付けられ
それが全てだと思っていました。

私が、久しぶりに仕事の休みの日に
実家に戻ると、お前は相変わらず痩せだな。
と、冷たい目で言われました。

家族を支えるために、14時間も一日働いて
挙げ句の果てに、その一言を聞いた時
自分には親がいなかったんだと、
言い聞かせました。

なのにこのドラマを見るのをやめられないのは
なんでだろう?私は本当は親と本気で
向き合い、親孝行がしたいんだなと。
だから見る。毎回涙が止まらない。

よーけす (38) 男性 2014.8.9 (土) 22:37:36

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いつも一番頼れる大好きな父が明日、老健施設に入所します。去年の夏までは、どんな家族行事も父が全てしてくれました。バーベキューの火おこしも、孫たちの子守も、孫たちのオムツ替えすらも。お金に困れば、いつも父がなんとか工面してくれました。去年の今頃、父は大好きな山登りも泊りがけで1人登っていました。皆が、いつでもどんな時も頼っていた父。登山の数日後、脳梗塞で倒れました。もっと早くに脳梗塞になっていたけど、自分を後回しにする父は、きっと限界まで家族に気づかせなかったんだなぁ。頼っていた父を、今はオムツ替えする状況になりました。そうなっても、父は家族を優先してくれる。一番愛する奥さんの為に、いつもの忍耐強さで、施設入所も快諾してくれたんだよね。そんな父が本当に心の底から大好きです。このドラマは、父の愛情、避けられない老いの現実、毎回涙が止まりません。どれも大好きな父に当てはめてしまいます。

グランパ (39) 女性 2014.8.6 (水) 00:21:43

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自分の両親は自分が幼い頃に離婚したので父との思い出が無いし、顔も分かりません。
ですが1度は会ってみたいです。

るろうに (15) 男性 2014.8.5 (火) 23:41:37

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父は物静かな人です。今までに私の進路にて反対などした事はありませんでした。18歳で実家の静岡から奈良の看護学校に進路が決まり珍しく「入学式は俺が行く。」と言いいました。父と電車に乗っての初めての2人旅。ほとんど会話は無かったです。しかしもうすぐ降りるころに一言「変な男だけは連れてくるな。」でした。あれから25年。父からみて主人はどう見えているんだろうか。一度聞いてみたくなりました。

さっちゃん (43) 女性 2014.8.4 (月) 15:47:47

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亡き父を想い出しながら、あの日あの時を。呑み打つ買うの父と一つ屋根のしたに暮らし始めたのは、一度目の父に離婚、生後数ヶ月の私を抱きかかえて、離婚の原因である父が愛したはずに女の元へ、父はその人が亡くなるまで籍も入れず、私が13歳まで私には育ての母になる。母が亡くなり初めて父を父として受け入れなくてはならなくなり、知らない父の色々を知る事になる。ゲイである私はまた初めて母の女である哀しみを知ります。妻として事実上愛人でしかなかった育ての母の気持ちを知りました。16歳の時父に新しい女が現れて父の妻になり、私の母になる、母による陰湿な虐めの中父と暮らし男であり、父と対面して闘いが続きました。父の対戦相手が私ではなく肺癌になり、対戦相手が医者により告知された日にはもう闘う日数が、カウントダウンして100%負けてしまうと断言されました。

珈琲豆蔵 (52) 男性 2014.8.3 (日) 13:46:46

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