現代地図でみる「JIN -仁-」の名所

『男山八幡宮(石清水八幡宮)』(現・京都府八幡市八幡高坊30)

(写真)尊皇攘夷論を掲げて京都での政局に関わっていた長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した「八月十八日の政変」によって京都を追放されていた。その状況を挽回するために、久坂玄瑞をはじめとする長州軍が本営を構え、軍議を行った場所が『男山八幡宮』である。京都盆地の西南部、京都と大阪を結ぶ淀川左岸に位置するこの場所は、水陸交通・経済・軍事上の要衝として昔から重要視されており、戦国時代にはあの明智光秀も、対岸の山崎・天王山付近で羽柴秀吉との決戦に臨んだ。久坂の慎重論もむなしく、長州は“熱くなりすぎた”がゆえに悲しい運命を辿ることになってしまった。現在も、全国から厚い信仰を集めている場所である。

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