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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

野田聖子氏「子供は製造物ではなくて」(15年11月29日)

「方向としてはね、間違ってないんです。ただそのやり方として、女性が子どもを産む合計特殊出生率を1.8と。若い人でアンケートを取ったらこのくらいという、そういうことらしいんですけど。子どもは製造物じゃないんで。その数字が先にあるのではなく、むしろ女性達が気付いたら、これだけたくさん子どもを産み育てられてたよ、ということが本来の政治のデリカシーというか。私はもう年取った女性なんでね、でも若い女性からすると何かちょっと違和感があるのではないかと。例えば私であれば、全ての子どもに幼児教育をとか。そういうアプローチで子ども達が授かっても安心ですよというところが、本来はターゲットだったのかなと。

何でもかんでも数値目標を出せば到達出来るという日本人の考え方はあるけれど、こと子どもを生み育てるというのは、そう簡単なことではないということを男性はもっと知って頂きたい。それに現代の女性はね、過去よりもしっかりしてるでしょうけど、働き方もトコトン変えて頂かないと。男の世界に両立って言葉はないけど、私達は常に両立っていう天秤で、女性達は苦しむわけですよ。そこをまず改善しないことには、数値があってもなかなか難しいんじゃないかと思います」

ならば、野党はと。国会に入って民主党の枝野幸男幹事長の記者会見場に向かった。前回選挙で大負けした党だけに、議員数で割り振られる控室も変わっていて、赤絨毯の廊下をぐるぐる迷うことになった。思えば、この夏には集団的自衛権を盛り込んだ安全保障関連法案をめぐりなんとも大幅な通常国会の延長となり、ここや向こう側に見える参議院の絨毯の上を行ったり来たりしたものだと思い出したりした。国会の前の老若男女入り乱れた反対の集会も熱かったっけ。

扉を開けるとこじぢんまりした部屋の壁には「権力の暴走を許さない」と書かれたポスターと、ワイシャツ姿の岡田代表が「地域起点」との字を背に立つポスターが貼られていた。しばらくすると、担当の記者たちがパソコンを抱えてぞろぞろ現れ、そこにグレーのスーツを着た枝野幹事長が登場した。「安倍1強」の中で、記者からは野党再編に向けた維新の党との関係に質問が相次いだ。ただ枝野幹事長は「統一会派が組めれば組まないよりベターだと思っている。相手のあることだし、必ずしもそれしか選択肢がないということではない」と何やらあいまいな言いぶりを続けた。それに、会社の女性記者が3回も質問を繰り返して頑張っていた。野党再編を聞かれた仙谷由人元官房長官はそんな民主党の現状にはっぱをかけていたっけ。


仙谷由人氏「百家争鳴の議論を」(15年11月22日)

「いやあ、再編のための民主党の解党でも解党的改革でも再構築でも何でも良いんだけども。やっぱり政権を担う政党をもう一度作るんだと。そういう生き生きとした政党を作るんだということを、百家争鳴の議論をしないとですね、なんかちょっと今ちんまりと大人し過ぎるんじゃないかと、頑張れっと言いたいですね」

師走のあわただしい「永田町めぐり」に疲れて、国会の隣にある記者会館に移動した。古びたグレーの4階建てで新聞社やテレビ会社が中に部屋を持っていて、テレビでは「記者会館中継」で知られるビルだ。一階の廊下の奥にあるのが「喫茶室 やま」で、記者や近所の役所の人のかくれた憩いの場なのだ。いまどき珍しいかつてインベーダーゲームではやったゲーム機のテーブルが3つあり、あとはたばこのヤニで茶色がかったテーブルが幾つか並んでいる。天井も壁も茶色がかり、壁にはもちろん模造品だろう金の派手な枠の縦1メートルほどの大きな洋画が3つかかっていたりする。コーヒーの香りとスパゲッティのゆで汁の湯気ただよう中、端の席に腰掛けてバジリコスパゲっティを頼むと。同じくくつろぎに来た旧知の記者仲間がやってきた。安倍政権の行方、選挙の行方、よもやま話は尽きなかった。半年あまりに迫ってきた夏の参議院選挙での衆議院とのダブル選挙では「なんか三方睨みの、野党共闘分断、公明党牽制、自民党議員の尻叩きって感じだよなあ」「7月10日投票とか期日が限られるようじゃ難しいよなあ」てな具合だ。

それでも、「安倍さんは政権交代選挙12年、アベノミクス選挙14年と、衆議院選挙を2年ごとにやってるよなあ…」「ならば2016年の12月か…」。

友人が帰ったあと考えた。正念場を迎える「アベノミクス一億総活躍社会」、選挙と景気で迷走する「消費税」、政権への対抗勢力としての「野党再編」。朝からたずねた様々な場面がよみがえり、そのまま2016年に繋がっているんだと思った。すっかり時間が経って、昼の客が仕事に向かい静かになった喫茶室で、窯から上がる湯気を眺めながら「まだまだ頑張ろう」とつぶやいてみた。


※本原稿は調査情報1〜2月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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