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「69回目の夏」に〜加藤紘一氏、ミャンマーへの旅 【2014年9〜10月号】


振り絞るように

会社に着くと、届いたDVDが机の上に置いてあった。加藤紘一氏と古賀誠氏、2人の元自民党幹事長がミャンマーを訪れた様子を、同行した秘書が撮ったものだった。

この、ミャンマー訪問の前日(6月27日)が『時事放談』収録の日だった。加藤氏については番組発足以来さまざま出演してもらったが、その後、大病されたことで出演は見合わせていたのだ。そんな中、集団的自衛権にからむ小さなインタビュー記事で加藤氏が語っていることが目に付いた。「僕の田舎の後援会事務長は16歳で少年兵になった。朝飯を一緒に食べた同期の仲間が隣で頭を打ち抜かれて死んだ。いずれ自分も死ぬ。その前に恋がしたい。それで慰安所に行った。むしろの仕切りの中に入ったら、朝鮮の女性がいたそうだ。『申し訳なかった』。戦後、心の中で女性に謝り続けていたんだ。僕は体験者から話を聞いた人間として発信し続ける」とあった。この際、体調を押してでも出演してもらおうと、お願いしたのだ。3年半ぶりとなったスタジオで、加藤氏は声を振り絞るように語った。


「理屈の理論より」加藤紘一氏(6月29日放送)

加藤: 現実の問題として、例えば韓半島に日本人が数万人いますね、商社マンとか。そこに北朝鮮が何か撃ってくる。アメリカ軍に頼んで引き上げるとき、日本を守るために集団的自衛権が必要だという一番分かり易いケースが議論されてます。しかし、その時にアメリカが日本の在韓国の居留民を米軍の艦船で運ぶでしょうか。僕はないように思いますね。理屈の理論より、日韓の外交の経緯の方が重要なんじゃないかな。日韓関係は悪いし。本当に日本が武力行使しなきゃならんとかする場合はですね、今の憲法じゃなかなか難しいから徹底的に議論して、正式に改憲すべきだと思います。その時は徴兵制の問題も議論しないとならんと思いますね。それで皆でやろうじゃないかと、それによって日本が後に何か大変な惨禍を被る事があったって、国民皆で決めたんだから仕方がないじゃないかと。

副調整室でモニターに映る必死の形相の加藤氏を見ながら、玄関に出迎えてからのことを思い出した。夕方の収録に加藤さんは遅刻した。玄関で待ち受けると、迎えのハイヤーが到着しても降りてこない。慌ててドアを開くと、一人では降りられないのだ。手を取ると、申し訳なさそうに「すまん。リハビリで時間と無縁の世界に住んでいるので」と謝った。話すのも言葉を振り絞る感じだった。廊下では一人でゆっくり歩き始め、「もう少し早く歩けるようになってたんだけど。よし、5倍、歩いてやろうと思ったら、体がばらばらになっちゃって」と冗談めかして話したりした。それでも、どうも歩きが右に曲がりがちで、スタジオ前のベンチで足を組んでいた人の足先を蹴ることになってしまい「失敬」と声をかけたりするため、慌てて手をつないでの控室入りとなった。控室では上機嫌で、「いつもは地元ですか」と水を向けると「そうですよお。田舎は飯がうまいんだ」と笑顔を見せ、司会で東京大学名誉教授の御厨貴氏に「東大教授っていうのは田舎じゃあ偉いんだよなあ」などと言ったりした。しかし、収録が始まると顔色が変わっていた。


「戦争体験の反戦」加藤紘一氏(6月29日放送)

加藤: 戦後、解釈改憲とか交戦権についての憲法改正9条とか、どうせ実現しないだろうと。だったら防衛ただ乗りじゃないように、少し集団的自衛権についての文言だけは解釈改憲しておいても良いんじゃないか。私もそう思ってました。

けど日本国内にね、もの凄い平和勢力があったんですよ。戦争に行って凄い現場を見て、命からがら幸いに復員してきた人達ですよ。そういった人が皆、田舎の自民党の保守系無所属の我々の選挙基盤になったんですよ。だから、反共自民党だけど、戦争はダメよって言う人が多かったんです。それは新聞や出版がムードや流れで反戦っていうような、そんな生易しいもんじゃないんですよ。自分の同期の友人が目の前でボンッなんて脳味噌撃たれて死んじゃうんだから。その人達の、戦争体験から反戦って言うのは、凄まじいもんでしたよ。だけど皆、死にましたし、今82,83歳になって引退しましたからね。そこが薄れてきた。

収録が終わると、突然、「明日、マコちゃんとミャンマーに行くんだ」と言った。「マコちゃん」がかつての盟友、そして「加藤の乱」をきっかけに袂を分かち、宏池会分裂で対立するに至った古賀誠氏だとはわかったが、一瞬、なんのことか理解できず「ミャンマーって?」と聞き返すと「ミャンマーに行くんです」という。「大丈夫ですかあ。何人で行くんですか」というと、「2人です」と言う。そして、問わず語りに「昔マコちゃんが国会議員になって、おれもやっと一人前になったと地元から東京に母親を呼んだことがあるんだそうですよ。幼いころにレイテ島で父を亡くし、苦労して育ててくれたという母に、『なんでもいいから食べたいものを言って』って言ったら『玉丼』と言ったそうですよ。」とポツリポツリと話し、「マコちゃんは戦没者の遺族だから」と言う。

加藤氏はしばらく黙ると、「じゃあ」と、控室にいた御厨氏、私、そしてスタッフ、メイクさんと全員に握手を求め、部屋を出た。長い間、番組を担当する中で、こういう場面は何回かあった。なにやら胸騒ぎがした。

DVDが届いた日の夜遅くになって、一人部屋でそれを見てみた。冒頭はミャンマーの空港。加藤氏は車椅子に乗っていた。少し疲れた様子だった。案内役が「では、行きましょう」と促すと、数人の一行は歩き出した。氏の車椅子は、ポロシャツ姿の現地の人に押されていた。よほど暑いのだろう、戸外に出るとと途端にレンズが曇った。

ビデオがジェット機内の様子に変わる。通路を挟んで左右一列ずつの小型ジェットで、加藤氏は操縦席を背に座っていた。次は別の飛行場の滑走路の映像に切り替わり、青く光る機体にミャンマーの国旗をあしらったヘリコプター2機がスタンバイしていた。しばらくすると、“PASSENGER SERVISE”と書かれたジャケットを着た4人の男に車椅子周りを押されて加藤氏が登場する。ヘリの脇に着くと、そこから乗り込むのだがここからが大変。ヘリの入り口は大人の肩ぐらいの高さがある。1人が氏を抱きかかえ、周りを3人が支えて乗せようとするのだがこれがなかなか体が入らない。どうにか窓際の席に乗り込んだ加藤氏の顔は紅潮していた。

ここからヘリはミャンマーの空に飛び立つ。映像には、先導する一機が映り、その後を加藤氏らのヘリが飛んでいく。操縦士のすぐ後ろに加藤氏が座り、その脇に古賀氏。眼下には赤茶けた土と緑が広がり、遠くの地平線近くに川が流れていた。氏は打って変わって鋭い眼差しになってじっとそれらを見つめ続けていた。そしてヘリは赤いテールランプを点滅させながら前を行く黒い機体の先導機を追い、うっそうとした緑のジャングルに覆われた山々を越えていく。山を越えるとまた山が続き、それを繰り返してヘリは小さな飛行場に到着する。そして、休憩をはさんでまた出発。車椅子から抱えられてヘリに乗り、また飛び立つ。再びジャングルに覆われた山とその間を流れる川が眼下に広がり、途中山頂に雲がかかり、深い谷が見えたりする。どこに向かうのか、果てのなきように思える。しばらくすると遠くに平地が見え、そしてヘリは改めて小さな飛行場に降りた。なんとも遠い行程だった。

先導機に乗っていたのだろう、5人の男たちが駆けつけ、ヘリから加藤氏を車椅子に乗せ始める。古賀氏に案内役の男が「先生、ここで慰霊祭します。」と言う。その脇で氏は2人の男に抱えられながらようやっと車椅子に乗り込み、男たちが氏の足を車椅子の足載せに持ち上げる。加藤氏の表情はやつれていた。


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