
長城の朝。長城の東端に近い角山の長城には日の出と共に近隣の住民が体操代わりの長城歩きに精を出す。急な壁を登り時々に大声をあげると身体にとてもよいのだとか。人々の暮らしの中に長城は生きている。 |
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明は歴代の中国王朝の中で最も頑強に長城を整備した。北京北方の山脈の中で、長城は外長城、内長城のふたつに分岐し二重の守りとなる。この北京結点はまさに長城が分かれる場所だが、90年代までは立ち入りが制限されていたため、修復が一切されておらず、うち捨てられたままの、いわば「発掘前の」姿をみることができる。 |
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北京とモンゴル高原を結ぶ街道沿いにある土木堡。堡とは、かつて北の防衛のために屯田兵が配備された駐屯地であり、そこを囲う防御壁が今も残っている。15世紀、この土木堡で明の皇帝自身が遊牧騎馬民族に囚われるという大事件、「土木の変」が起きた。皇帝は一年後に解放されたが、これをきっかけに、明王朝は北の防備を強化する必要を一層迫られたと言える。 |
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明の文官、余子俊は重大な提案をおこなった。「容易に越えられない高い壁を連ねましょう」。それは、やみくもに兵力を注ぐのをよしとせず、たとえ工事の労力が莫大でもいったん壁を築けば恒常的な防衛が可能になる、との画期的な考えであった。始皇帝による最初の万里の長城からおよそ1600年、ここに中国の東西を網羅する本格的な長城が復活する。写真は、余子俊が最初にてがけた陝西省の長城。版築工法による土の長城だ。 |
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