
1767年、アユタヤはビルマ軍に徹底的に破壊される。400年の栄華は、はかなく崩壊した。菩提樹に巻きつかれた顔だけの石仏は、200年以上も見捨てられた遺跡の月日を物語る。 |
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14世紀、人工の島に建国されたアユタヤは、チャオプラヤー河を通じて海外と結ばれ、国際都市として繁栄した。17世紀、イギリス人は"ロンドンのように見事な都市"と讃えた。 |
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アユタヤの遺跡は、ほとんどがレンガを積み上げたものだ。巨大な仏塔は、完成までに1基で約5年の歳月を要する。表面は漆喰(石炭)細工や彫刻が施されていた。しかし今、風雨にさらされ、大半は失われてしまった。 |
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16世紀になると、身体中に装飾を施された宝冠仏が登場する。王権を誇示するために君主は、美術品や工芸品に費用と労力を惜しまなかった。そのため、アユタヤは、タイ美術史上に一時代を画する仏教芸術を花開かせる。 |
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