2018年6月9日 夜9時〜
常長は、スペインで洗礼を受けていて、まるで神父のような肖像画も残っています。洗礼を受けたのは、政宗の命を実行するために必要だと判断してだと言われていますが、彼の足跡を辿っていくと、次第に信仰心が芽生えてきても不思議はないと感じました。ヨーロッパ、中南米もそうですが、街の中心部にドーンとひときわ大きい教会があります。中に入るととてつもなく天井が高く、豪華な装飾。海外の情報がほとんどなかった常長たちにとって、相当なカルチャーショックだったと思います。異国の人たちがいう神とは凄いと、ごく自然に感じたのではないでしょうか。現に私もバチカンでは、目に入るものすべてに、眼を見張っていました(笑)。天井も壁も柱も調度品も、どこを見ても凄い。これまで映像や写真で見ているものでも実際に目の前にすると、圧倒されるほどのインパクトがありました。
10億人を超えるカトリック教徒の聖地バチカン市国
バチカンの機密文書館に保管されている政宗の親書
まるで美術品のような美しさ!
バチカンでは、政宗がローマ教皇に贈った親書を特別に見せて頂きました。まず私が驚いたのは、その親書がまるで最近書かれたもののように美しかったこと。金箔や銀箔が貼られ親書そのものも美しいのですが、一切劣化したところがなく、本当に400年も前のものか?と俄かに信じられなかったほどです。大切に保存されていたということもありますが、当時の工芸技術の高さに感じ入りました。そしてその親書の内容も驚くべき内容でした。改めて政宗のスケールの大きさ、大胆さを感じましたね。
宮城県黒川郡大郷町には常長のものと伝わる墓が
イタリアから帰国して2年後に病没したと言われる常長
しかしその墓に刻まれた命日は…
またこの親書について取材をしていくと、政宗の野望と同時に、バチカン、そして政宗のアドバイザーだった宣教師の思惑も垣間見られて非常に面白かったです。支倉使節団研究の第一人者、大泉光一先生のお話はとても興味深いものでした。政宗の親書は、現代の感覚からしても一国の将来を左右しかねない第一級の機密文書だと実感しました。江戸幕府が誕生しようとしていた時代に、日本で初めてヨーロッパに渡った人たちと、それにまつわるさまざまなドラマをご紹介できると思います。