バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #650 2019.1.5 O.A.

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プロ入団3年目で受けた戦力外告知・佐藤世那(21)の新たな戦い
2018年、100人を超えるプロ野球選手が戦力外告知を受けた。その多くは、若手の台頭で出場機会を失った者やケガによりチャンスを掴めなかった者だ。日本プロ野球界での実績を誇り、メジャーにも挑戦した西岡剛(34)や永くチームを牽引してきた選手も例外ではない。その中に、オリックスからドラフト6巡目指名を受け、プロ3年目のまだ21歳という若手選手の佐藤世那も容赦ない宣告を受けていた。
2018年のドラフト会議で日本ハムが1位指名したのは、甲子園での熱投・東北勢初優勝にあと一歩と迫った秋田・金足農業の吉田輝星だった。佐藤はそのドラフト会議を複雑な思いで見ていた。彼はこの日の3週間前に戦力外告知を受けていたのだ。彼も4年前、チームのエースとして夏の甲子園のマウンドに立っていたのだ。3年間を過ごしたオリックスの練習場に、12球団合同トライアウト挑戦を決意した佐藤の姿があった。コーチ達に挨拶をして激励の言葉を貰ったが、現役の選手に声をかけることが出来ない。彼にはネットの向こうが途轍もなく遠かった。
宮城県仙台市で生まれ、地元の強豪・仙台育英に進んだ佐藤は3年の夏、現在千葉ロッテで活躍する平沢大河と共に大舞台の甲子園に出場。力強いストレートと鋭く落ちるフォークを武器に、あの清宮幸太郎を完璧に封じ込めるなど活躍、強豪校をなぎ倒し準優勝。その後、清宮やオコエらと共に18歳以下のW杯に出場。その活躍によりオリックスからドラフト指名を受け、夢だったプロ野球選手となった。しかし、そんな彼を待ち受けていたのは大きな壁だった。プロ入りから2年、1軍登板はゼロ。ファームでも打ち込まれる日々が続いた。佐藤が持っていた全ての球種が、プロでは全く通用しなかったのだ。そんな佐藤は、プロの世界で生き残っていくために、サイドスローに転向することを決断。それは、幼い頃から慣れ親しんだフォームを捨てるという大きな賭けだった。しかしその結果、ストレートは130キロ台に落ち込み、フォークに変わる武器、変化球も習得することが出来なかった。結局、プロ生活3年で1軍に呼ばれることは一度もないまま戦力外通告を受けた。
トライアウトを目前にし、佐藤は今まで支え続けてくれた家族に、今の気持ちを直接伝えるために地元・仙台に帰省していた。戦力外通告を受けてから父・慎一さんと話しをするのは初めて。慎一さんは、仕事が忙しい中でも、佐藤が登板する試合には、甲子園をはじめ、全試合に駆けつけるほどだった。そんな父に、佐藤は…「野球しかない」。
トライアウト当日、会場にはもちろん父の姿があった。この日、佐藤はサイドスローではなく、一番輝いていた高校時代のフォームで挑むと決めていた。結果は3人の打者に、フォアボール、フライアウト、ヒット。佐藤のトライアウトは、これで終った。果たして、プロ球団からオファーは来るのか。
3日後、実家で待つ佐藤に1本の電話が。それはBCリーグ・富山サンダーバーズからの連絡だった。嬉しかったが、思いは複雑だった。BCリーグは、プロ野球復帰の近道とも言われるが、給料はシーズン中の半年間だけ。残りは、野球以外の仕事をしなければならないからだ。そんな佐藤にもう1つオファーしてきたチームが。横浜球友クラブ。神奈川県にあるクラブチームで、BCリーグよりプレーレベルは落ちるが、年間を通じて給料が支払われるという条件を提示されたのだ。このまま、NPBの球団からのオファーを待ち続けるのか?それともそれ以外で野球を続けるのか?
12月、佐藤は横浜のクラブチームで、一から野球に取り組み、レベルアップして、再度トライアウトを受験すると決めた。
甲子園準優勝からわずか4年、21歳で野球人生の岐路に立たされた佐藤世那。自分の殻をぶち破り、もう1つのバース・デイを迎える日を心から待っている。
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