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BACK NUMBER #640 2018.10.20 O.A.

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巨大戦力の中での過酷なサバイバル 巨人2軍・松原聖弥の戦い
巨人2軍。そこは毎年過酷な戦いが繰り広げられ、12球団一、競争が激しいと言われている場所。そんな中、甲子園にも出場せず全く無名選手ながらプロ入りを果たした選手がいる。松原聖弥(23)。小学校の頃、兄の影響で野球を始めた時からプロ野球選手が夢だった。しかし中学では補欠、一念発起し、東北の強豪・仙台育英高校に進んだが、そこでも3年間、レギュラーの座を掴むことができなかった。野球への情熱を失いかけていたある時、松原は新聞を目にする。それは同じ高校の先輩に高校時代補欠だったにも関わらず、プロ野球選手なった人がいる。まだ自分にも可能性があるのかもしれない…。そんな思いを胸に大学でも野球を続けることを決意。名門大学に行くことは出来なかったが、それでも首都大学リーグの2部に所属する明星大学で貪欲に野球に取り組んだ。すると、眠っていたバッティングセンスが目覚め、2年生でレギュラーを掴むと、4年生まで通算打率3割をキープする大活躍。すると、その年のドラフト会議で、なんと巨人が育成5位指名。明星大学初のプロ野球選手となった。しかしその背番号は009。育成選手は1軍の試合に出場する権利はなく、まずは支配下選手の座を勝ち取らなくてはならかなった。
入団1年目の2017年、松原は主に3軍で戦った。当時3軍の監督を務めていた川相の下で、松原は大学で自信を掴んだバッティングを存分に見せ付けた。どんなコースの球も鋭く振り切れるバットコントロールの良さ。松原は面白いようにヒットを量産し、3軍ながら打率、安打数でチームダントツの成績をあげた。そんな松原に川相は更なる大舞台を用意する。スター候補の登竜門、アジア・ウィンターリーグのメンバーに育成1年目の松原を大抜擢。ここでも多くのライバルたちを押さえ、打率3割を超える結果を残した。
入団2年目の2018年シーズンになると、松原は2軍でスタメンの座を勝ち取った。1軍で実績のあるピッチャーからもヒットを放つ。追い込まれても粘ってヒット。さらに塁に出れば俊足を生かし、すかさず盗塁。1番バッターとしての適正に磨きをかけた。シーズン半ばの7月まで、打率.319、ヒット111本、盗塁も16。この活躍が評価され、7月30日、松原は育成から支配下選手へと昇格した。いよいよ1軍の舞台が見えてきた。そのためには、2軍で更なるアピールが必要となる。しかし、そんな大事な時期に気がかりなプレーが目立ち始めた。リーグで1、2を争う盗塁数を誇っていた松原が、刺されることが増えた。9月に入り、成功4つに対して失敗は7。特に試合展開の大事な場面での失敗が目立つ。それには、支配下選手になったことが影響していた。自分は雑草。それが開き直りではなく、劣等感を招いていたのだ。シーズン終盤になっても、恐怖心をぬぐえないままプレーを続けていた。すると今度は走塁や守備でのミスまで出るようになった。そんな中迎えた巨人2軍、4連覇がかかった試合。9回まで1-1の同点。勝ち越しのチャンスに松原が打席に。アウトコースに逆らわず、見事、逆転のタイムリー。しかしその直後、走塁ではミス。判断に明らかに迷いが見えた。試合は勝利し、チームは4連覇を果たしたが、松原にとっては、後味の悪い結果となってしまった。この自分の弱さを克服しないと1軍は程遠い…。
迎えたリーグ最終戦。松原には、シーズン最多安打の新記録達成がかかっていた。しかし4打席目までノーヒット。最終打席に打てなければシーズンが終わる。極度のプレッシャーの中、意地のヒットを放ち、リーグ記録を更新。初の支配下選手でのシーズンが終わった。
松原聖弥、23歳。来シーズンこそ1軍定着へ。巨大戦力の壁をぶち破って欲しい。
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