バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #587 2017.9.23 O.A.

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かつてドラフト1位で入団した男たちは今
毎年、様々なドラマが生まれるプロ野球ドラフト会議。特に1位指名された選手は、チームの未来を担うスター候補として、栄光の背番号を受け継ぐ者が少なくない。ドラフト1位という栄光を抱えながら今を懸命に生きる男たちを追った。
<玉野宏昌>
小学生の頃から夢はプロ野球選手だった玉野は、地元の強豪、神戸弘陵高校に進み、1年生からショートのレギュラーとして活躍した。遠投110mの強肩、50m、5.9秒の俊足、更に2年生でバッティングも開花。走攻守、3拍子揃った内野手としてプロのスカウトが注目する選手になった。ドラフト会議前には、中日、日本ハムの3位指名が予想された。しかし当日、思いもしない展開が。この年は、大学No.1スラッガー・井口資仁、社会人No.1ピッチャー・入来祐作など注目の選手が多数いたが、西武は高校生の玉野を1位指名。誰よりも驚いたのは本人だった。しかし驚きはそれだけではなかった。球団が玉野に用意した背番号は、なんと清原の背番号「3」。西武の顔として活躍してきた清原が、この年FA宣言。ドラフト会議の3日後、巨人に移籍した。球団はチームの未来を担って欲しいと玉野にその背番号を受け継ぐことを望んだ。だが玉野は、清原のようなホームランバッターを期待されるのは、自分には荷が重いと辞退した。それでも球団は背番号「3」を付け、チームの新たな顔になって欲しいと玉野を説得。その熱意に押され、清原の背番号を継承することを受け入れた。するとマスコミは「ポスト清原」と呼び、その言葉にファンもホームランを期待するようになった。しかしプロ1年目は1軍に上がれず、2軍でも結果を出せなかった。清原とは遠く及ばない玉野の現実にファンは心ない野次を浴びせた。背番号「3」を背負ったことで玉野は「清原のようにホームランを打たなければいけない」と思い込むようになった。走攻守バランスの良い選手だった玉野は、本来の自分のスタイルを見失っていく…。プロ3年目に1軍デビュー。しかし自分が決めなければという思いが先走り、凡打を繰り返した。そんな玉野に大きな転機が訪れた。それは背番号の変更。大物メジャーリーガーが入団し背番号「3」を希望。その結果玉野は、「33」に変わった。プレッシャーから解放された玉野は、生き生きとプレーしはじめた。入団4年目、2番バッターで起用されると手堅く繋ぐバッティングを見せチームに貢献。ヒーローインタビューでも、自分の役割をしっかりと語った。守備でもチームに貢献。背番号「3」の呪縛から解き放たれた玉野は、走攻守揃ったチームに欠かせない存在となった。しかしその輝きは長くは続かなかった。腰を痛め、2軍暮らしが続く。そしてプロ8年目、中日にトレードされ、翌2005年のシーズン終了後、戦力外通告を受け引退した。
引退から12年、今、玉野が野球をする相手は4歳の一人息子・翔大くん。現在は東京・清瀬市に家を建て、3歳年上の妻・絵里さんと翔大くんの3人で暮らしている。妻は現役時代から夫を支えてきた。家の中にプロ野球時代のものはほとんどない。そして今、玉野は野球とは全く無縁の職場で働いている。製紙会社に勤め、主な仕事はレジなどで使われる巻紙の営業。引退後、知人に今の会社を紹介され、営業マンとして頑張ってきた。2017年で入社11年目、上司の信頼も厚い。家族は何よりの支え。玉野が或るものを見せてくれるという。それはずっと実家にしまっておいた、あの背番号「3」のユニフォーム。プロ野球人生を翻弄し続けたユニフォームに、18年ぶりに袖を通した。
<西川佳明>
地元・大阪で中学時代から注目された西川は、全国から野球エリートが集まる甲子園の常連校、PL学園に進学。同級生には後に巨人で活躍する吉村禎章がいた。2人は1年生の時から活躍。1981年、春のセンバツに出場すると、西川は見事なピッチングで全国の強豪を抑えPLを春のセンバツ初の決勝戦へと導いた。試合は9回表を終え、1対0とPLがリードされる展開。しかしその裏、PLは怒濤の反撃を見せる。同点に追いつき、尚も1アウト3塁、サヨナラのチャンス。ここで打席に入ったのが西川だった。西川のサヨナラヒットでPL学園は初のセンバツ優勝を決めた。甲子園で西川は5試合を1人で投げ抜き、43奪三振、防御率0.20という輝かしい成績を残した。法政大学に進学後もリーグ優勝、2度の大学日本一、さらに16連勝という未だ破られない東京六大学の最多連勝記録も打ち立てた。そんな数々の栄光をひっさげ、1985年のドラフト会議で南海ホークスに1位指名、プロ野球選手になった。西川の投球スタイルは100キロ台のスローカーブと鋭く落ちるシンカーでバッターを翻弄。新人ながら前半戦で7勝をあげ、オールスター戦にも出場。セ・リーグの強打者相手に見事なピッチングを見せた。プロ1年目は10勝を上げる大活躍。しかし2年目以降は、学生時代から酷使した体が悲鳴を上げ、思うような投球が出来なくなった。そしてプロ6年目、阪神に移籍したが、翌年、29歳で戦力外通告を受け引退。引退後はプロゴルファーを目指した。貯金を切り崩し、キャディを務めながら6年間頑張ったがプロテストに受かることはなかった。夢もお金も失った。そんな西川に転機が訪れたのは45歳の時。当時32歳だった裕美さんと出会い3年後に結婚。49歳で翼くんが誕生した。この家族を守るのが使命。この時西川は新たな仕事に就いていた。それは大型トレーラーの運転手。積載量34.5トン。全長17mのトレーラーを自在に操り、総重量1トンもの鉄板や、解体工事に使う重機などを全国に運ぶ。だがなぜこの仕事を選んだのか?北は青森から南は鹿児島まで。54歳の西川は体に笞を打ち、家族のために走り続ける。長い時で1週間以上、家に帰れないこともあるという。そんな時は畳1畳ほどの後部座席で休息をとる。食費も出来る限り抑え、節約している。全ては息子のためだ。
ドラフト1位という栄光で始まるプロ野球人生を輝きのまま、まっとうできる者は一握りに過ぎない。家族のために今も闘い続ける元ドラフト1位の男たち。その第二の人生を応援したい。
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