バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #581 2017.8.5 O.A.

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最強の市民ランナー・川内優輝 知られざる家族の絆
なぜ彼は己の限界を越えてまで走るのか?川内優輝(30)。公務員として働きながら走り続ける市民ランナー。彼が実業団ではなくこの道を選んだのには、あまり知られていない理由がある。それは、高校生のとき父が他界したこと。残された母と2人の弟を支えるため、公務員として働きながら走り続ける道を選んだ。そして家族もまた、川内の走りを支え続けた。マラソン人生の集大成。いよいよ日の丸を背負ったラストランに挑む川内と知られざる家族との絆を追った。
川内の名が世界に轟いたのは2011年の東京マラソン。苦しそうに顔を歪めながらも、驚異のラストスパート。そして実業団の有力選手を抑え、市民ランナーの彼が日本人トップに立ったことに陸上関係者も驚いた。それはまさにスポーツ界の常識を覆す快挙だった。川内は、埼玉県庁に務める公務員。1日8時間フルタイムで働き、余った時間でマラソンを走る市民ランナーだ。
高校時代、ボクシングの選手だった父と陸上部だった母。そんな2人の長男として生まれた川内が、初めてマラソンに挑戦したのは、小学1年生の時だった。スポーツが出来る子に育って欲しい。両親のそんな思いから、ちびっこマラソンに応募した。すると、練習せずにいきなり出場した1500mを7分台で走り5位に入賞。これを見た元陸上部の母は、練習を積めばもっと速くなると確信。近所の公園で毎日1.5km走ることを課した。練習の時は厳しかった母に対し、父は常に優しく、川内のよき相談相手になっていた。中学生になるとタイムが速くなることに喜びを感じるようになり、自分からマラソンにのめり込んだ。大会に参加すれば家族総出で駆けつけ、カメラは母が回し、父は声を張り上げ応援した。父は一番の応援団。息子が将来箱根駅伝を走ることを夢見ていた。川内もそんな父の期待に応えようと必死に走り続けた。高校は陸上の強豪、埼玉・春日部東高校へ。しかし、そこで挫折が。2年生の時、レース中に足をケガしてしまい走ることすらままならなくなった。当時、川内がつけていた日誌には苦しい心境が刻まれていた。
「ケガはもういやだ」「つらい、苦しい、走りたい」
そんな息子を支えていたのが父だった。多忙な父が仕事で疲れ、どんなに遅く帰宅しても、丁寧にマッサージしてくれたという。悲劇が襲ったのは、まさにその最中だった。高校卒業を間近に控えた2005年2月、父・葦生さんが59歳の若さでこの世を去った。心筋梗塞だった。父の死を川内は受け止めきれなかった。2人の弟はまだ中学2年と小学6年。突きつけられた厳しい現実に母・美香さんはどん底にいた。そんな母を救ったのは、懸命に走る息子の姿だった。学習院大学に進学が決まっていた川内は、陸上部に入り、父の夢、箱根駅伝出場を目指し猛練習を重ねた。そして、懸命に走る息子の姿に悲しみにうちひしがれていた母も、次第に元気を取り戻していったという。そして大学2年の時、川内はついに亡き父の夢を叶える。関東選抜チームの1人として箱根駅伝に出場。学習院の選手が箱根を走るのは史上初の快挙だった。苦しくなると父を思った。すると不思議と力が溢れてきたという。川内は、箱根駅伝に2度出場し、4年生の時には区間3位と健闘した。その活躍を見た実業団チームから誘いを受けたが、川内は全て断った。父との約束を果たした今、家族を支えることこそ自分の使命。そう考えたのだ。川内が選んだのは公務員だった。家族のために給料の半分以上を生活費にあて、弟2人が進学すると、様々な面で支えたという。その一方で、川内は走ることを諦めなかった。1日8時間の勤務をこなしながら、ひたすら走り込むことで、市民ランナーとして大会を目指す。そんな兄を2人の弟がサポートした。2人とも川内同様、幼い頃からマラソンを始め、大学では陸上部に所属。この上ない練習パートナーになってくれた。川内が市民ランナーの仲間と合宿をすると、母・美香さんも仕事を休み、スタッフとして支えた。練習の時からフラフラになるまでとことん追い込む川内。息子の姿を見ると母は心配になる。弟の1人は、大学卒業後もスポーツ関連の仕事をしながら兄のサポートを続けている。そんな川内の最大の練習と言えるのが、驚くべき方法だった。なんとフルマラソンに練習の代わりに出場。これまで参加したフルマラソンは実に70回を数える。しかもその中でトップランナーの証といえる2時間10分を切るサブテンが14回。これは日本歴代最多記録だ。
そして、世界陸上ロンドン、日本代表を目指す戦いが始まった。日本代表は、4つの大会の成績をもとに3人が選ばれる。川内はその最初の大会、福岡国際マラソンに照準を絞っていた。しかしアクシデントに見舞われる。福岡国際マラソンの3週間前、右ふくらはぎを故障。周囲は欠場も含め、戦略の見直しを助言したが、川内は断固出場を決めた。理由は、2009年からほぼ毎年出場したこのレースのコースを熟知していたからだ。一度決めたら必ずやり通す。右ふくらはぎの故障という逆境の中、川内の勝負のレースが始まった。レースが動いたのは22km地点。それは滅多に見られないアクシデントがきっかけだった。なんとペースメーカーが突如脱落。そんな中コース知り尽くした川内が一気に出た。その後、アフリカ勢に抜かれ5位にまで落ちたが、川内はここから驚異的な粘りを見せ、2時間9分11秒でゴール。レース前のケガというハンデを乗り越え、走りきった川内の目には普段は見せない熱いものが溢れていた。全ての選考レースの結果、川内のタイムは全体2位となり代表に選出。他は井上大仁、中本健太郎が選ばれた。
2017年6月18日、川内にはロンドンへと旅立つ前にどうしても走っておきたいレースがあった。毎年父の日に開催される隠岐の島ウルトラマラソン。30度を越す猛暑の中、50キロを走る過酷なレース。世界陸上まであと2か月と迫ったこの時期に、この大会に参加したのは暑さが苦手という弱点を克服し、ロンドンへ更なる自信を付けるためだった。そしてもう1つ。実はここ隠岐の島こそ亡き父の生まれ故郷。日の丸を背負っての最後のマラソン、世界陸上を前に成長した自分の姿を天国の父に見て欲しかった。
父の死を乗り越え、家族を支え、公務員として働きながら日本代表を掴んだ川内優輝。世界陸上・男子マラソンで彼は一体どんな走りを見せてくれるのか?
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