バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #475 2015.6.6 O.A.

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母のためにプロ野球へ 快進撃を支える新人投手
プロ野球界で、強いチームには必ず絶対的な守護神がいる。そんな常識を今年身を持って体現する1人のルーキーがいる。現在、セ・リーグトップの成績をあげている、横浜DeNAベイスターズ・山崎康晃(22)。プロ1年目にして、抑えの入り札に抜擢され、チームを勝利へと導く。そんな我が子を見守る母。女手ひとつで育ててくれた母を助けたい。その一心で、夢を掴み取った若者の戦いの日々を追った。
開幕から2か月。17年ぶりの優勝へ向け快進撃を見せている、横浜DeNAベイスターズ。開幕直後からスポーツ紙の1面を飾り、様々な雑誌でも特集されるなど、球界を盛り上げている。そんなチームが最も湧きあがる瞬間。それは、この男がマウンドに上がる瞬間だ。山崎康晃、この春、大学を卒業し、プロになったばかりの男が、マウンドで躍動する。ここまで(6/5現在)、リードした状況で、山崎が登板したのは24試合。そのうち、リードを守りきれなかった試合は一度もない。「絶対に抑える」そんな山崎の投資を支えているものがある。それは、山崎の母・ベリアさん。彼女の席は、自分が出る試合は全部見て欲しいとプレゼントをした年間シート。息子の活躍は、何ものにも代えがたい、母の生きがいになっている。試合が終わると、山崎は母にウイニングボールを手渡す。それは、この親子にとって、最高の幸せの瞬間だ。プロ野球選手になった息子と、その母、二人の関係は特別なものだった。
1992年、東京・西日暮里で、日本人の父と、フィリピン人の母の間に生まれた山崎。小さい頃は、いつも母の側を離れない母親っ子だったという。しかし、小学校3年生の時に両親が離婚。山崎は母と、2歳年上の姉と3人で暮らすことになった。母は毎朝、家事を済ませると夕方まで工場で勤務。さらに、飲食店で深夜まで働く生活を週7日、休むことなく続けた。そして中学になると、こんな決意をしたという。「プロ野球選手になって、お母さんを楽にさせる」そんな思いを胸に野球に励んだ山崎は、帝京高校に進学。学費は母が生活費を切り詰めて捻出してくれた。帝京高校では2番手ピッチャーとして、2度の甲子園出場。最速147kmの力強いストレートで2大会連続ベスト8進出を果たすなど、プロのスカウトの目にも留まった。「一刻も早くプロ野球選手になりたい」しかし、ドラフト当時、山崎の名前が呼ばれることはなかった。これ以上、母に負担をかけるわけにはいかない。山崎は、野球を諦め、スポーツトレーナーになって家計を支えることを考えていた。しかし、母は息子の本当の思いを見抜いていた。そんな母の言葉に山崎は、もう一度野球に賭ける決意をした。奨学金が出る亜細亜大学への進学。4年後、今度こそのプロ野球選手なると母に誓った。全国から選りすぐられた球児が集まる亜細亜大学。そこでも山崎は、し烈な競争を勝ち抜き、4年生でエースに、そしてリーグMVPにも選ばれ、一躍ドラフト候補となった。そして、山崎にとって運命の日がやってきた。
「横浜DeNA 山崎」
山崎は4年越しの夢をついに掴んだ。
プロ入りを果たした山崎は、オープン戦から奮闘を見せる。最大の武器は縦に鋭く落ちるツーシーム。リリーフとして登板した4試合を無失点で終えた。それを見た中畑監督は、開幕直前に新人としては異例の抑えの切り札に指名した。そして、横山スタジアムでのホーム開幕戦。この日、母・ベリアさんは山崎が用意してくれた席で見守っていた。DeNAが序盤からリードする展開。そして、1点リードで迎えた9回で山崎が呼ばれた。チームが勝つか負けるか、山崎の投球にかかっている。その瞬間、母も緊張に包まれていた。山崎は見事無失点に抑え、チームの勝利に導いた。そしてこの日プロ野球選手になった息子と異国で懸命に生きてきた母の初めての記念日になった。
両リーグトップの成績をあげ、チームを支える山崎康晃(22)。母のために。魂のピッチングを続ける彼にどんなバース・デイが待っているのか注目したい。
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