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BACK NUMBER #472 2015.5.16 O.A.

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元プロ野球選手 第2の人生 男たちの下した決断
現役を引退した後の人生をどう生きるのか?過酷な戦場に身を置くプロ野球選手たちには、必ずその決断を下さねばならない時が訪れる。
<加登脇卓真>
都内のグラウンドで、職場の仲間たちと野球の練習に励む1人の男。実は、高校時代にあの田中将大からホームランを放ち、巨人に入団を果たした元プロ野球選手。彼は、プロ野球選手としては異例のある職業に転身を遂げていた。
小学2年で野球を始め、所属チームでは常にエースで4番。中学校のボーイズリーグでも、チームの日本一に導くなど、地元京都では知らぬものはいないくらいの野球エリートだった。高校は、8度の甲子園出場を誇る北海道の名門・北照高校に野球留学。そして2005年7月、夏の甲子園出場の懸かった南北海道大会決勝で、あの田中将大を要する駒大苫小牧と対決。加登脇はエースとしてキレのある速球と闘志をむき出しにした真向勝負で駒大に立ちはだかる。そして、9回2アウト、駒大3点リードの場面でプロ入りを大きく手繰り寄せる運命の一発を放った。田中の懇親のストレートを弾き返し、推定飛距離130mを超す豪快なホームラン。北照は惜しくもあと1点及ばず、甲子園出場こそ逃したものの、この年全国制覇を果たした駒大苫小牧をあと一歩の所まで追いつめた。その実績が高く評価され、この年、超高校級左腕と騒がれた辻内と共にピッチャーとして高校生ドラフト3位で巨人に入団。憧れのプロのユニフォームに袖を通した。しかし加登脇は、プロの壁を打ち破ることはできなかった。コントロールが定まらず、ストライクを取りにいった球を痛打される。その繰り返しだった。結局、1度も一軍のマウンドに上がることなく、入団3年目の2008年、戦力外通告。何とかプロで生き残ろうと挑んだトライアウト。しかし、ここでも結果を残せず、21歳の若さでプロからはじき出された。
あれから6年。加登脇は今、何をしているのか?スーツを身にまとい、足早にとある建物の中へ。彼の現在の仕事とは、なんと警察官。一体、どのようにしてプロ野球選手だった加登脇は警察官に転身したのか?
巨人を退団後、野球を諦められず、社会人クラブや香川の独立リーグでプロ復帰を目指し、練習を続けていた。しかし、巨人をクビになって3年後の2011年。22歳の時に結婚した同じ年の妻・はすみさんとの間に長女が誕生。しかし、当時の月給は12万円では、この先、家族を養い続けることは出来ない。そう思った加登脇は、野球を諦める覚悟を決めた。そんな時、彼の脳裏に浮かんだもの。それは、プロ野球選手を夢見る前に憧れていた警察官だった。加登脇は、10か月間、毎日6時間以上もの猛勉強に励み、2012年採用試験に見事合格。そして、1年3か月の交番勤務を経て、2015年4月から警視庁第4機動隊に所属している。この部隊は、国会や首相官邸などの警備が主な任務。周辺に不審者がいないか、不振なモノが落ちていないか、鋭く目を光らせる。さらに加登脇は、6年前に発足した警視庁の野球部に所属。忙しい勤務の合間を縫って、都市対抗出場を目指し、汗を流している。
<古木克明>
かつて、横浜ベイスターズで4番を務めた松坂世代の大砲だった古木。しかし、6年前に戦力外通告を受けて以降、プロ復帰を目指し、幾度となくトライアウトに挑戦し続けてきた。しかし、誰よりもプロの肩書にこだわり続けた男は、現在、野球と決別し、新たな道を歩んでいる。
古木が向かった先は、なんと大学院。ここは、起業したい社会人のために講義を行う学業施設。自分が経験した辛い思いを誰にも味あわせたくないと思った古木は、アスリートのセカンドキャリアを支える事業を起こしたいと考えていた。2014年4月から週3日、経営学を中心とした様々な講義を履修。講義後には、教授たちに積極的に質問をする。さらに、所属するゼミでは、学生たちによるプレゼンテーションを行う。古木は自身の経験を踏まえながら、将来のビジョンについて熱弁を振るった。新たな夢を見出した古木の表情は、充実感に満たされていた。
プロ野球選手という華やかな世界にピリオドを打ち、自ら運命を切り開いた男たち。新たなスタートを切った彼らに心からエールを送りたい。
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