バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #443 2014.10.25 O.A.

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もう1度マウンドに立ちたい…元メジャー投手7年越しの苦闘
2014年9月、長野県で行われたとある独立リーグの公式戦。マウンドに上がる男に観客から熱い声援が送られた。元メジャーリーグ投手、大塚晶文42歳。実は大塚がマウンドに上がるのは、これが7年ぶりのことだった。大塚はかつて日本プロ野球で最優秀救援投手になるなど、抑え投手として活躍。その後、アメリカ・メジャーリーグでもセットアッパー、クローザーとして第一戦にいた。しかし、絶頂期に右ヒジが選手生命にかかわるケガ。それ以降、1度もマウンドに上がることが出来なかった。それでも再びマウンドに立つことを諦めなかった男が、ついにこの日、その時を迎えた。ここに至るまでの7年間、それほど壮絶な苦闘の日々だった。

大塚は、1996年、社会人野球の日本通運からドラフト2位で近鉄バファローズに入団。1年目から1軍で投げ、2年目には抑え投手として、当時のパ・リーグ新記録となる35セーブを上げる活躍。最優秀救援投手のタイトルを獲得した。その後2003年、31歳のときに、メジャーリーグに移籍。大塚は150km/hを超える気迫のこもった速球、縦に落差の大きいスライダーを武器にメジャーでも活躍。3年前には、大魔神、佐々木主浩以来となる日本人メジャーリーグ史上2人目の30セーブを達成した。年俸が3億円を超えるなど、第一戦で存在感を示した大塚は、2006年に開催された第1回WBCでは、日本代表の守護神として選出され、日本初の世界一を勝ち取った胴上げ投手となった。しかし、2007年、野球選手として絶頂期だった35歳のとき、あまりにも残酷な悲劇に襲われる。右ヒジ靭帯の断裂。投手として選手生命に関わる大きなケガだった。大塚は、手術にを行い、1か月後には、リハビリを開始した。しかし、ヒジの痛みが消えない…。さらに、この年のシーズンオフには、チームから解雇を言い渡された。それでも大塚は、アメリカに残り、自費を投じて復帰に向けて取り組んだ。しかし、右ヒジの損傷は複雑で、治療は難航。何度も手術を繰り返し、4年に渡り、合計5回、右ヒジにメスを入れた。暗闇を彷徨うような大塚の戦いを支えたのは、家族だった。5歳年上の妻・明美さんとは、プロ入りと同時に結婚。大塚がメジャーに移籍した時、家族揃って海を渡った。明美さんは、投げられずに苦しむ夫の信じられない姿を目の当たりにしたこともあったという。解雇宣告を受けた後も、家族は大塚と共にアメリカに残り、明美さんは、ケガの回復を意識した料理作りや、マッサージなど全面的にサポートし続けた。
とにかくもう1度、マウンドに上がりたい。その強い思いから、一向に回復しない右ヒジに業を煮やし、なんと利き腕とは逆の左手で投げることまで挑戦した。それが無謀な挑戦であることは、わかっていた。それでも徐々に上達し、5か月後には70mの遠投が可能なほどに上達した。すると、この左投げの特訓が思わぬ効果を生み出した。左投げに徹したことで、結果、右ヒジを休ませることとなり、痛みが和らいだのだ。そして、右腕での投球が可能になった。
ケガから5年が過ぎた2013年5月、大塚にある知らせが届いた。日本の独立リーグ、信濃グランセローズが大塚の豊富な実績と現役復帰の可能性を信じて、名乗りを上げたのだ。大塚は日本に戻り、信濃グランセローズに入団することを決めた。このとき、大塚は41歳。平均年収は200万円未満と厳しい環境だったが、大塚は、復活の場を得たことで、闘志を燃やしていた。
チームに合流してから2か月、大塚の投球はなかなか実戦レベルまでは、辿り着かなかった。和らいだ右ヒジの痛みも徐々に表れ、それをかばうことで、肩にまで痛みが生まれるようになった。結局、入団した2013年は1度もマウンドに立つことはできなかった。
その年のシーズンオフ、大塚はチームからの要請で、投手兼任の監督となった。しかし、監督としてチームの運営に徹し、自らマウンドに上がる事はなかった。シーズン終盤の9月、優勝の可能性が消滅したところで、チームから最終戦にイベントを兼ねて登板してみないか、というオファーを受けた。大塚は選手としての区切りをつけると決めた。
9月15日、大塚の最期の投球を見届けようと、妻と子どもたちがアメリカから駆け付けた。7年ぶりの登板。しかし、これは引退登板でもある。大塚の胸には熱いものが込み上げていた。必死におさえようとしても湧き出てくる思いに、なかなか投球に入ることができなかった。そして、7年ぶりの投球。1球目は大きく外れ、ボール。カウント2−2となった6球目。伝家の宝刀と呼ばれたスライダーで三振。大塚の苦難の7年間が、18年の野球人生が幕を閉じた。マウンドを降りると、家族が出迎えてくれ、大塚は人目もはばからずに泣いた。
7年間というケガとの長い戦いでも、再びマウンドに上がることを決して諦めなかった大塚晶文。来シーズンからは、野球人としてのその強いハートを胸に、中日ドラゴンズの2軍コーチとして、新たな道を歩む。
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