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BACK NUMBER #393 2013.9.21 O.A.

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2億7千万という高額年俸を捨てメジャーリーグに挑んだ田中賢介
今年も多くの日本人がアメリカ・メジャーリーグで存在感を示している。しかし、今年海を渡ったこの男は、メジャーのぶ厚い壁に阻まれ、苦しんでいた。
元北海道日本ハムファイターズ、田中賢介、32歳。
田中は、昨年までチーム最高年俸の2億7千万円を稼ぐなど、日本球界を代表する選手だった。だが、田中に与えられた戦いの場は、日本で言えば2軍にあたる、マイナーリーグだった。
田中は1999年のドラフトで、注目選手として、交渉権を獲得した日本ハムに入団した。
田中の武器は卓越した野球センス。走攻守すべてを兼ね備え、2006年、信頼できる2番打者としてレギュラーに定着。そしてその年、日本ハム44年ぶりとなる日本一の原動力となった。2009年には、選手会長に就任するなど、生え抜きの将来の幹部候補生としてチームから期待され、ファンからも愛されていた。
しかし、海外FA権が行使できるようになった2011年、田中はメジャーに挑戦する決意を心に秘めていた。だが、シーズン序盤で、試合中に左足首を骨折。全治6カ月の重傷で、わずか49試合の出場に終わった。次こそは、そう臨んだ2012年の昨年、ランナーと交錯し、左腕を負傷。FA宣言してメジャーに売り込むには、厳しい成績で終わった。しかし、このとき、すでに31歳。田中は、シーズン終了後、メジャーに挑戦することを決めた。
メジャーでの田中に示された評価は、やはり厳しいものだった。サンフランシスコ・ジャイアンツと契約したものの、マイナー契約と言う、日本で言えば2軍に相当する立場からのスタートとなったのだ。しかし、田中には、その強い決意を後押ししてくれる存在がいた。4歳年下の妻の千芳さん。結婚したのは、昨年1月。そして、夫がメジャー挑戦を決断したのは、それからわずか10カ月後のことだった。
そして、今年2月。田中はシーズン開幕前に行われるサンフランシスコ・ジャイアンツの練習キャンプに、招待選手として参加が許されたのだ。このキャンプ中に、実力を認められる事がメジャーへの第一歩だ。そして、メジャー昇格を懸けた大切なキャンプは、オープン戦へと突入した。
田中は、日本で守っていたセカンドだけでなく、ファースト以外のすべてのポジションが試された。慣れないポジションからか、エラーが目立ったのだ。さらに、セカンドでも…。このエラーが影響し、田中は、開幕をメジャーで迎える事はできなかった。
しかし、マイナーリーグで開幕を迎えた田中は、守備で下がった評価を打撃で盛り返した。
そして、レフト転向から3週間後の7月9日、田中は、ついにメジャーに昇格。すると、その日いきなり、2番レフトでスタメン出場。日本人、史上50人目のメジャーリーガーとなった。
7月29日には、昨年のワールドチャンピオンとしてオバマ大統領に招かれたチームに同行。田中は間違いなくジャイアンツの一員となった。だが、この直後、突然マイナー降格を言い渡されたのだ。そして、その翌日から田中はスタメンを外され、メジャー昇格からわずか20日で、マイナー降格を突付けられた。
それでも、田中はまだメジャー挑戦の夢を諦めていない。
日本に戻らず、来シーズン、メジャーのグラウンドに再び立つべく戦いを続ける。
彼が再びメジャーリーガーになる日を、我々は応援したい。
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