じだいはいけい

満州とは

「 満州(まんしゅう) 」 とは現在の黒竜江省(こくりゅうこうしょう)吉林省(きつりんしょう)遼寧省(りょうねいしょう)の中国東北部と内モンゴル自治区北東部にあたるエリアのこと。1904年 (明治37年) の 「日露戦争(にちろせんそう)」 以降、日本がこのエリアに勢力を展開することとなる。

時代背景

1931年 (昭和6年)
9月18日
大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん)の満州在留の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した 「柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)」 が発生。関東軍はこれを中国側の仕業として軍事行動に出る。これを機に中国との武力紛争(ぶりょくふんそう) 「満州事変(まんしゅうじへん)」 が勃発。関東軍は約5ヶ月ほどで満州全土を掌握(しょうあく)
1932年 (昭和7年)
3月1日
満州国の建国を宣言。
関東軍の主導により清朝(しんちょう)最後の皇帝(こうてい)愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀(ふぎ)元首(げんしゅ)に迎え、日本人と漢人(かんじん)、朝鮮人、満洲人、蒙古人(もうこじん)による 「 五族協和(ごぞくきょうわ) 」 と 「 王道楽土(おうどうらくど) 」 を国家理念とした。首都は新京(しんきょう) (現在の長春(ちょうしゅん))。
1934年 (昭和9年)
3月1日
溥儀が皇帝として即位し、満州国は帝政(ていせい)へ移行する。
1936年 (昭和11年)政府が 「満州開拓移民推進計画(まんしゅうかいたくいみんすいしんけいかく)」 を決議。1936年から1956年の20年間で500万人の日本人の移住を計画、および推進した。
1937年 (昭和12年)政府が満州国開拓の一翼(いちよく)(にな)う平和部隊として 「 青少年義勇軍(せいしょうねんぎゆうぐん) 」 の編成を決定。翌年から昭和20年までの間、15〜16歳の青年、約9万人が満州国へと送り出された。
1941年 (昭和16年)
12月8日
政府がアメリカとイギリスに対して宣戦布告(せんせんふこく)し 「 太平洋戦争(たいへいようせんそう) 」 が開戦される。
1945年 (昭和20年)
8月6日
アメリカが広島に原子爆弾(げんしばくだん)を投下。
8月9日アメリカが長崎へ原子爆弾を投下。
ソビエトが 「 日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく) 」 を破り満州国へ侵攻(しんこう)
8月12日満州国において、避難中の日本人開拓団がソビエト軍と満州国軍反乱兵により攻撃されて集団自決(しゅうだんじけつ)した 「 麻山事件(まさんじけん) 」 が発生。その他、ソビエト軍と中国人による攻撃や襲撃、強姦、略奪などが相次ぐ。
8月14日政府が連合国へ 「 ポツダム宣言 」 の受諾(じゅだく)を通告。
8月15日昭和天皇による 「 玉音放送(ぎょくおんほうそう) 」 により国民へ日本の降伏(こうふく)が公表される。
8月17日満州国重臣会議(じゅうしんかいぎ)により満州国の廃止を決定。ソビエトの軍政下に入る。
その後、ソビエトは中国との 「中ソ友好同盟条約」 を無視し、翌年の4月まで軍政を続け、統治権が中国へと戻ってから日本人の引揚げが始まる。