高山勝成

高山勝成

高山勝成

IBF世界ミニマム級王者
元WBA世界ミニマム級王者
元WBC世界ミニマム級暫定王者
生年月日
1983年5月12日
出身
大阪府大阪市
プロ通算戦績
35戦27勝(10KO)7敗1無効試合
タイプ
右ボクサーファイター
所属
仲里ジム

略歴
2000年10月18日
17歳でプロデビュー


2001年12月15日
ライトフライ級新人王獲得


2002年10月14日
若干19歳で元WBA世界ミニマム級暫定王者ソンクラーム・ポーパオイン(メキシコ)に判定で勝利し
WBAミニマム級4位にランクイン


2003年4月21日
日本ライトフライ級タイトルマッチにて畠山昌人(協栄札幌赤坂)と対戦するも9RTKOで敗北
<グリーンツダジムへ移籍>


2005年4月4日
WBC世界ミニマム級タイトルマッチに挑戦。
王者イサック・ブストス(メキシコ)と対戦し判定勝利で王座奪還に成功。


2005年8月6日
WBC世界ミニマム級初防衛戦にて元王者のイーグル京和(角海老宝石)と対戦し判定で敗れ、ベルトを失う。


2006年3月18日
日本ミニマム級タイトルマッチで小熊坂諭(新日本木村)と対戦し9R負傷判定で勝利


2006年11月7日
WBA世界ミニマム級王座決定戦にてカルロス・メロ(パナマ)を9R負傷判定で降し暫定王座獲得。
2団体制覇達成


2007年4月7日
WBA世界ミニマム級王座統一戦にて、正規王者・新井田豊(横浜光)に判定で敗れ、王座統一失敗
<真正ジムへ移籍>


2009年7月14日
WBA世界ミニマム級タイトルマッチにて王者・ローマン・ゴンザレス(ニカラグア)に3-0の判定で敗退。
<JBC日本ボクシングコミッションに引退届を提出。フィリピン・ALAジムを拠点に活動を行う>


2010年9月1日
南アフリカ・ヨハネスブルグにて行われたIBF世界ミニマム級挑戦者決定戦で
同級3位のツシェポ・レフェレ(南アフリカ)と対戦。6RTKO勝利で挑戦権を獲得した。


2011年1月29日
IBF世界ミニマム級タイトルマッチにて王者・ヌコシナチ・ジョイ(南アフリカ)と対戦。
3R偶然のバッティングにより高山が負傷。レフェリーは続行不能と判断し、無効試合となった。


2012年10月13日
フィリピンにてIBF世界ミニマム級挑戦者決定戦をマテオ・ハンティング(フィリピン)と戦う。
判定の末敗れてしまうが、前後に義務付けられた薬物検査に不備があったとの理由により無効試合には
ならなかったが、挑戦権はどちらにも与えられなかった。ハンティングの負傷もあり、IBFは3月末までとした
期限内での挑戦者決定戦の実施が不可能と判断し、高山の挑戦資格を認めた。


2013年3月30日
メキシコにてIBF世界ミニマム級王座に挑戦。王者・マリオ・ロドリゲス(メキシコ)に3Rダウンを奪われるものの有利な展開に持ち込み、判定勝利。
世界王者復帰を果たすと同時に暫定王者を含め日本人選手初の3団体制覇を達成。


2013年12月3日
ベルギリオ・シルバーノ(フィリピン)との防衛戦。試合は終始高山が圧倒し、
4年5か月ぶりの国内凱旋で3-0の判定勝ち、IBF王者として初防衛を果たす。


2014年4月7日
中学卒業後、プロボクサーを目指した高山は、ボクシング以外のことをもっと学びたい、という思いから
名古屋の菊華高校に入学。引退後の第二の人生の選択肢を広げるためでもある。


2014年5月7日
2度目の防衛戦は小野心(ワタナベ)との日本人対決。序盤は攻め込まれる場面もあったが、 終盤は完全にペースを掴んだ。10Rと12Rでダウンを奪い、3-0の判定勝利。防衛に成功した。


2014年8月9日(日本時間10日)
敵地、メキシコにてWBOチャンピオンのフランシスコ・ロドリゲスJr.とIBF・WBO世界ミニマム級王座統一戦を行う。 12Rの激闘の末、0-3の判定で敗れ、タイトルに統一に失敗。最大の目標だった、「メジャー4団体完全制覇」を逃した。


2014年10月8日
8月に試合の敗戦により、一時引退も考えていたが、現役続行を明言。再び、チャンピオンを目指すことを決めた。