水戸黄門大学

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パナソニックドラマシアター水戸黄門 40周年第40部記念 スペシャルコンテンツ



うずまさ通信

/『水戸黄門』の殺陣(たて)シーンを支える東映剣会の俳優陣をご紹介します
vol.12 本山 力(もとやまちから)さん


◎生年月日、出身◎
1969年10月7日、京都府。
◎ニックネーク◎
しゃぶチャン。
◎好物◎
お肉で、特に生が好きです。映画『蒼き狼』でモンゴル人の役をやった時に3カ月間モンゴルにいたんです。あちらは肉食なのでけっこう自分に合いましたね。現地の方がヤギを解体するところを見る機会もあったんですが、やっぱり生き物の命をいただいくということで感謝の気持ちが自然にわきます。日本にいたらそういうことを忘れがちなので、貴重な経験ができたと思ってます。
◎苦手なもの◎
エビとカニ、それと球技運動。
◎趣味◎
刺し子や刺繍をするのが好きで、作務衣(さむえ)にも刺し子をしました。デザインは自分で考えて、できるだけ下絵を描かないでやってます。若い頃、破れたスボンの膝当てをちょっと工夫したりして楽しんだのが始まりで、そういう日常使いのものを補修しつつ、そこに自分なりの美的センスを反映させることに面白みを感じますね。最近は、チャンバラショーなどのイベントで使う着物も自分で作れたら面白いなぁと思って、和裁も勉強中です。
◎得意技◎
まだ得意とは言えませんけど、数年前から馬に乗れるようになったので、頑張って習っている最中です。何事もそうやと思うけど、やっぱり基礎をしっかり作って、そこに積み上げていくことが大事。進歩してきたかなと思うと、後戻りしてしまうこともあったり。それでも気持ちは常に上を見てやっていこうと思ってます。
◎俳優になったきっかけ◎
もともと時代劇が好きで、家で時代劇を見てた時にふと自分もエキストラの仕事ができひんやろかと思って、東映に電話したんです。その場では断られたんやけど、(現在の)芸能事務所を紹介してもらったのがきっかけ。22歳でした。ただ、なんもわからんと現場に入ったから「アホ!ボケ!」言われる毎日。それでも面白かったですね。入ってすぐに「ここは殺陣ができないと仕事ないよ」言われたので勉強しました。最初は先輩たちがちょこちょこ見てくれて、しばらくしたら殺陣師の菅原さんが毎週日曜日に稽古をつけてくれはったんです。剣会は2年ほど前に声をかけてもらって入ったばかり。本当は僕なんかより殺陣ができはる人がいっぱいおるのに、それでも自分が入れてもらったからには、一歩でも先を目指して稽古せなあかんと思ってます。
◎撮影の思い出◎
思い出深い撮影ベスト2がいずれも『水戸黄門』です。ひとつは22歳の頃、撮影所に来て2日目。ちょうど『水戸黄門』のラス殺(ラスタチ/ラストの立ち回り)の日で、僕は用心棒の役やったんです。さっきも言ったように演技の勉強をまったくしないで入ったから、どうしていいのかわらんかったんですね。それで「弥七さんの横に立って」言われて立ってたら、「もうちょっと右行って。もうちょっと右。もうちょっと……」言われて、少しずつズレていったんです。後で放送を見たら、自分は全然映ってなかった。ははは。立ち位置を直されたんやなくて、画面からはずれなさいってことだったんですね。ま、当たり前ですよね。もうひとつは、10年以上前に二条城で撮ったラス殺。気温40度くらいのセミも鳴かない暑い日で、敷石が焼けてしまってたんです。そこに控えたもんやから、後で袴を脱いだら膝から下が石の形でダーッとヤケドしてました。
◎殺陣への思い◎
殺陣の魅力ですか?殺陣は人が生きるか死ぬかの場面やから、そこにドラマがあるところかな。「本当は生きたかった」とか「たとえ自分は死んでも、この人を生かしてあげたい」とか。そこまで気持ちを揺り動かされることって、現実ではなかなかないと思うし、そういう現実的でないことを成立させられるのが時代劇。うまいこと言えませんけど、先輩方を見ていると、殺陣を通してあれだけのことが表現できるんやって、いつもスゴイなと思うんです。だから技術的なことだけやなく、殺陣というお芝居に自分自身どんどん魅力を感じるようになっています。



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