●藤井氏 10・11「働く人が直接報われるような」
思えば、今年の4月、民主党の長老的存在である藤井氏は苦悩していた。衆議院選挙を間近に控えながら、小沢代表の第一秘書が逮捕された直後のころだ。それでも、代表を辞めない小沢氏。「剛腕」政治家の顔色をうかがうように、党内から表立たない「辞任論」。ズルズルいって、安倍政権の参議院選挙惨敗以来「ゆるんで」いた政治を立て直す機会を逃すのか。いつものようにビールを飲みながらの打ち合わせのせいもあったのだろう、不覚にも興奮した私は「演説」してしまったのだ。「このまま、けじめをつけずに、だましだましで行こうとするのは『邪道』です。新しい代表で、国民に信を問うのが『王道』です。『邪道』で失敗したら次はない。『王道』で筋をとおせば、失敗することがあっても、国民は理解してくれ、次に続くのではないでしょうか」。言った後、ああまた身の程知らずに言いすぎてしまったと後悔した。そのあと藤井氏は「今日は言われてしまったね」と言って押し黙った。
藤井氏がその数日後、小沢氏と親しい経済人である京セラの稲盛和夫氏に直談判して「小沢辞任」を迫ったというのは数日後の新聞で知った。そして、あの「ケジメ」の一件以来、民主党だけでなく藤井氏自身も「オーラ」を放つようになっていった。
一方の自民党である。麻生政権が、そのまま選挙に突入すれば壊滅的な打撃を受けることは日に日に明らかになっていった。それでも、「お友達」を自認する幹部は「看板を付け替えるような姑息なことをしてもだめだ」などと理屈をつけ、「けじめ」を避け続けた。そんな中、「総裁交代」を仕掛けて失敗した塩崎恭久氏が「党内で、看板を付け替えるような姑息なことをしないほうがいいと本気で言うやつがいて、がっかりした」と肩を落としていたと聞いた。そういえば、塩崎氏は「全共闘(全学共闘会議)」の闘いを高校時代に経験した。
自民党は選挙惨敗の後も、そのまま「負け将軍」の麻生総裁で国会の首相指名選挙に臨もうとするなど醜態をさらした。番組の中で、そのことに話題がいくと、「全共闘」の渦の中で闘ったという仙谷氏は簡単に説明してみせた。失敗など何回も経験があり、それでも前に進むには、やり方があるというのだ。
●仙谷氏 9・13「総括せよ」
そして、仙谷氏はその後、行政刷新担当大臣に就任し、麻生内閣が作った15兆円の補正予算の3兆円を目標にした「ムダ削減」を取り仕切った。大臣どうしの緊迫した駆け引きの直後での出演となり、その民主党でも、与党になったとたん日に日にいろんな意味で「ケジメ」を付けられなくなっていくと警鐘をならした。利害関係者にまみれて「改革」をいやがる体質が広がりはじめ、「自民党化」していくことを警戒していた。
●仙谷氏 10・18「族議員まではいきませんけど」
鳩山政権の発足にあたり、手腕を期待された藤井氏の財務大臣就任は、早い段階で「内定した」と新聞をにぎわしながらも、「確定」するまでに2週間もの異例の長い時間がかかった。その間、報道では「小沢降ろし」にかかわったから小沢氏が起用に反対しているとの解説が続いた。民主党の理解者でもある片山氏は猛然と反論し、「けじめ」が民主党を政権交代に導いたと強調した。

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藤井:成長戦略って一体なんなんだってことなんですよ。私はどうも高度成長時代の残滓を頭に描きながらやってるような気がしてならないんですよ。もはや高度成長ではない。そういう環境にない時は、やっぱり一般の働く人が直接報われるような政策に転換しなければいけないと思っているんです。成長政策という言葉に惑わされないで、消費なり、働く人に直結した政策を大胆にやっていく。それを批判する人は「バラマキ」って言うんですよ。しかし、我々のやることはバラマキじゃないんです。マクロ経済政策の中心だと、自信を持って言っていくつもりです。