時事放談 トップページ 毎週日曜あさ6:00〜6:45
過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「政権は戦い取るもの」2009年3月15日OA

亀井:私は民主党の連中に言ってるのにね、「とにかく混ぜご飯でおかゆになってる民主党が、世論調査頼みで、選挙で勝てそうだと言うので、小沢丼に固まってる、そんな事では政権は取れないよ」と。

野中:そうだ、そうだ。

亀井:「人類の歴史を見てみろ、全部、政権が変わるのに血が流れてるんだぞ。民主主義の手続きでなされる場合でもね、東南アジア含めて色んな国で大変な事態が起きかねないのが政権交代であって、今のように政権がひとりで手に入るみたいな事を思ってたら、あんた達、政権取れないよ」ってね。政権は戦い取るものであって、そういう世論調査でどうなるかなんて一晩で変わっちゃう。そういう事を言うんだけども、残念ながら今の民主党はそういう意味で何か他人頼み。

野中:いやいや、自民党も一緒ですよ。胆力が無い。自ら身を捨ててでもこの国のためにこういう方法をやろうと言う、そして責任を持ってね、自分は火の粉を被ってもやろうという政治家と、根性がなくなってきた。そこがね、不幸な事だと思いますよ。

今回の出来事は、政権交代を求めて、民主党を愛していた人ほど深刻だ。議員会館に15年来の間柄のその民主党議員を尋ねたときのことだ。私は「なんのためにあんな思いをして政権交代可能な小選挙区制を導入したのですか。このままでずるずるずるずる手から砂が落ちていくように、支持者が離れていくのをそのまま見ているのですか」と尋ねた。すると、小沢氏の側近とされるその人は、「私は秘書が逮捕されたその日に代表は辞任すべきだったと思っています」と言い切った。そして、ほかの側近を通して話を小沢氏に考えを伝え、「7割がたはやめると思う」との言質を取っていたことや、渡部氏を通じて鳩山幹事長に考えを伝え、その後、鳩山氏と電話で話し合ったことなどを説明した。そして、しばらく黙り込むんだ。
水面下では様々に動きがあって、でも小沢氏は進退のタイミングだった「第一秘書の起訴の日」の記者会見を「涙」で乗り越えたわけだ。いたずらに傷を大きくした1ヶ月の日々。小沢氏と関係の深い藤井氏は番組の中でいつになく苦渋の表情を見せ、そして語り始めた。


峻別すべきだ2009年4月5日OA

御厨:「第一秘書が逮捕された日に辞めるべきだったのでは」という議論も今でもありますが?

藤井:2つの問題がこんがらがっちゃってるんですね。つまりですね。法律論ですね。もっと言ってしまえば検察のやり方の問題と、それから「政治と金」の問題というのが絡まってるわけです。私はこれは峻別すべきだと思ってるんです。ですから「政治と金」の問題という点についてですね。やはり、早く結論を小沢代表は出されたほうが良かったという風に思っております。

小沢氏とのことに思いをめぐらすうちに、すっかりと時間はたち、店では、教授と思しきおじさんたちのひそひそ話しだった声が、酔うほどに大きくなってきていた。「中畑をさあ野球部の監督になってもらうというのはどうかなあ。きっとマスコミ受けするぞお」。「君は議論を広げすぎるよお」・・・。私のテーブルの上も、塩辛はすっかりなくなっていた。ビールも何本飲んだかわからなくなっっていた。私は小沢氏があの時、こんなことも言っていたのを思い出した。会社によっては対立する竹下系の先輩記者の発言が大勢を占め、小沢番の記者が原稿の書き方をめぐってデスクと揉めがちだったのを慮ったのだろう。「君たち、喧嘩をするならキャップやデスクやらとしては駄目だ。もっとえらいのと、社長ぐらいとやらないと駄目だ。喧嘩の相手とは対等になるわけだからな」。そしてこう付け加えた「そして捨て身でやれ。どんな剣の達人も、捨て身で切ってきた相手とは相打ちになる。捨て身で行けば相打ちに持ち込めるんだ」。小沢氏が捨て身で戦っている様が見えてきた。捨て身だから、「同情を買う」という「禁じ手」をまで使っているのだ。すべてを計算して演じきり、最後の最後まで闘っている「全身政治家」を、いつのまにか、自分の物差しで読み解いていたことを恥じた。自分の中で決着させるのはまだ早いのだ。店をでると、すっかり遅くなった夜に、住宅地の方向は街灯の下で桜の花がいくつか咲いているのが見えた。でも、その先にある小沢邸の門の前には行くことなく、向きを変えてもと来た道を駅の雑踏に向けて引き返した。

※本原稿は新・調査情報5〜6月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

ページ |