【2009年5〜6月号】
●「全身政治家」〜「涙の会見」読解入門
何度も引き返そうとも思った。ここらあたりに来ると、当時の緊張と気分がよみがえるのだ。思いは「なつかしさ」を通り越すのだ。かかわった人にとって「あの人」はそういう存在だ。田園都市線の駒沢公園駅から地上に出て、国道246号線沿いの喧騒をしばらく行くと、交差点に「駒澤大学」との大きなたて看板が出てくる。「そうそうあの頃はハイヤーに乗ってこの看板を目印に左に曲がってくださいってお願いしてたんだっけ」などと思ったりした。記者として「小沢一郎番」をしていた数年の話だ。朝回りは二日酔いで後ろのシートにのけぞって胸をさすりながらだったし、夜回りはすでに疲労と記者仲間らとのビールで目もうつろだった。気取った学生目当てなのか、当時はなかったイタリヤ料理店などもいろいろできていた。次の十字路を曲がったちょうど住宅地の入り口に当たるところには「華屋与兵衛駒沢公園店」があった。このつい先には小沢氏の自宅がある場所だ。ドアを押して店内に入ると中は15年ほど前とほとんど変わっていなかった。お願いして奥の座敷に腰をおろした。そして第一秘書が政治資金規正法違反で起訴されたことを受けた記者会見で小沢氏が涙を見せ、ハンカチで鼻を拭いたりしたことを思い返した。
番組で、その涙の理由を渡部氏が説明した。
●思いが2009年3月29日OA
それにして、なのである。92年のあの頃、竹下派の会長代行だった小沢一郎氏は、激しい権力闘争の渦中にあって、時折夜の日程が急遽キャンセルになったりすると、よく我々若い番記者に声をかけて酒にさそってくれた。そんな時は決まって、赤坂の地下の安い居酒屋だったり、六本木の煙の充満する焼き鳥屋だったり、なぜか衆議院高輪宿舎のそばの安っぽいすし屋だったり。個室でないのを気にする風もなく、目立たないように店の片隅に座ると、永田町での鬼のような形相は一変させて、若い記者との政治談議に愛好を崩した。ほどなく自宅そばにオープンしたこの店もそんなひとつだった。いろんな話をした。記憶に生々しく残るのは生き様にかかわるものだった。その一つが、ある横綱の引退にかかわるエピソードだった。「俺は好きなんだよなあ。引退するときに『同情されて相撲が取れるか』と言ったんだよ」そういうと大事そうに杯を口に運んだのだった。この「相撲」は「政治」に置き換えられ、自分にとっては仕事に置き換えられ、その後の人生観の大事な一つだった。なのに今回の「涙の会見」である・・・。
「秘書逮捕」直後の出演となった武村正義氏は、小沢氏の「自民党に対抗する勢力の代表」としての資質そのものを疑った。

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森:(笑)
渡部:しかし、その事を全部捨ててこの国に2大政党を作って政治を国民のものにするという事でやってきたんだから、「今度の事件の為に駄目になった」なんて事になったら、申し訳ない。その意味で「俺が党首に留まってる事が次の選挙で勝つために不利になるか、損になるか、あるいは俺が党首に留まっても勝てるか」という事で迷い苦しんでる。それが男の涙になったんだろうと思います。