●「官僚と繋がっていこうかと…」
結局、そこに、総理大臣の捨て身の凄みはなかった。案の定、なんと新しい閣僚名簿の発表の前から、麻生太郎氏への「禅譲説」が取りざたされる始末となった。「ポスト福田」ナンバーワンの麻生氏を幹事長に取り込むことに腐心する一方で、その同じ地元の「犬猿の仲」の古賀選挙対策委員長は切れない。自分とそりがあわず、国民からも受けない町村官房長官は切れない。辞めさせた伊吹幹事長も切りきれず、「重要閣僚」の財務大臣に横滑り。二階総務会長は留任させようとしたものの、津島派から4役に入れろとねじ込まれたら、それを受け入れ、二階氏は経済産業大臣に横滑り。決断できずに「足して2で割る」計算の挙句に出来上がったのは、なんとも時代はずれの「お化けちゃん」だった。番組が終わった後も、「身内」であるはずの塩川氏は「見てみろ、留任と、横滑りと再任ばっかりやろ」と、どうにも腹にすえかねる様子だった。
番組の中で、片山氏は、内閣改造の日の官僚の様子を語った。
●内閣改造の夜に官僚は
あの夜は、東京・青山の船田邸に駆けつけた。記者仲間が次から次へと集まって「将来の総理大臣」への祝杯と憂国の政治談議は深夜まで続いた。私も日本酒の一升瓶を抱えて演説し、酩酊した。そう、「特別な夜」だったのだ。そんなことを思いながら、首相官邸への坂をのぼった。やっと、黒塗りの車が行列する官邸の入り口にたどり着いたときに、正面に霞ヶ関の官庁街が見えた。大臣の顔ぶれが頭をよぎり、その官庁街の窓の光はいつもより光ってるように見えた。暑い中の坂のぼりで心臓がバクバクしながら、その様子を見ているうちに、なんだか、官邸での記者会見は聞く気がうせてきた。そして、そのまま苦労して上った坂を下りた。上から見るとあのキャピトル東急のあったところはオフィスビル工事のクレーン車がとまっているだけで跡形もなくなっていた。
※本原稿は新・調査情報9〜10月号に掲載されています。
◆石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

|
御厨:そうですか、そうなるとさっき塩川さんがおっしゃったように「政治が」ってところがあまり見られず、官僚と上手くやっていく、そんな感じですか?
塩川:なりそうに感じますね。しかし、そこは福田さんのリーダーシップで切り抜けていくかもしれませんが、ずっと見ましたら、官僚と良い人がみんななってますね。中には若い人達で新人でちょっ、ちょっと個性を出してる人もありますけど、他は大体、「官僚と繋がっていこうか」という人が多いですね。