【2008年9〜10月号】
●暑い「普通の日」〜福田内閣改造の夜に
東京・赤坂の会社を出ると、さっきまでのバタバタがうそのようだった。夜になっても、じっとりと暑かった。私は、どうにかその日の番組収録と、その後の作業を終え、赤坂の喧騒の人並みを掻き分けながら首相官邸に急いで行くところだった。まもなく、新しい大臣と福田総理の記者会見が始まるのだ。
途中、NTTドコモの大きなビル脇の路地を通り過ぎて、旧キャピタル東急の敷地に差し掛かったときに、急に思い出した。92年だったと思う。自民党の中で、最大派閥竹下派を割って、政治改革を掲げた小沢一郎氏らが「改革フォーラム21」(羽田派)を旗揚げしてまもなくの頃、宮沢総理が内閣改造に打って出た日のことだ。指名されたのは当時(うーむ、この「当時」というのは意味深いが)若手のプリンス、船田元氏だった。竹下派特有のヤクザの親分のような怖い政治家の多い中にあって、「異色」の好人物の船田氏は何かと世話になった関係だった。
組閣の時の羽田派の陣地は、このキャピタル東急で所属議員が集結していた。何階だったか忘れたが、そのフロアーのエレベーターの前で私は立っていた。そうだ、あの時、どこかの古参秘書が「記者がなんでこんなとこまで来てるんだ。ロビーに出ろ」と怒ったんだっけ。そうそう、そこに居合わせた、藤井裕久議員が「いや、この人はいいんだ」なんて、言ってくれたりして。
首相官邸への呼び込みの連絡を受けた船田氏は、反旗を翻した宮沢内閣からの「一本釣り」に苦悩していた。仲間の議員の反発の中、小沢氏が説得したのだろう、部屋から出てきた船田氏がこっちに目配せすると申し訳なさそうにエレベーターに乗って行った。そして、しばらくしてエレベーターが上ってきて、ドアがあくと、「船田企画庁長官」が出てきた。史上最年少大臣だった。秘書官とSPを従えて、胸を張るその姿は、数分前の前かがみの政治家とは別人で、キラキラと輝いて見えた。「シンデレラって今でもあるんだな」とびっくりしたんだった。
そう、大臣になるということは大変なことだったのだ。組閣の日は「特別な日」だったのだ。
●からかわれていると思った
その日、金曜夕方の収録は、内閣改造の日と重なった。そうなるかなとは、覚悟していたのだが、いざそうなると心臓が破裂するかの思いをすることとなった。番組を気に入ってくれている塩川氏は、夜遅くなることも快諾してくれたのだが、翌日には大阪で朝8時からの番組出演を構えていた。飛行機や新幹線の時刻表をどうひっくり返しても、朝の帰阪ではとうてい間に合わない。飛行機の最終便(それも関西新空港に夜11時着の86歳の高齢にはなんともハードなのだが)で行くにしても、東京・赤坂を8時半に出ないと飛び乗れないのだ。
収録のスタートのぎりぎりの時間は夜7時半。一方で、新内閣の顔ぶれがないと、日曜朝では、とっても間の抜けた内容となってしまう。前のには「どうにかなるさ」と、当日の朝の段階では「わかっている重要大臣だけでやろうかな」などとも考えていたが、時間が迫るにつれ、よく考えてみれば、閣僚名簿の発表があるまでは、「人事」は最終段階でいかようにも「玉突き」でずれる(これは会社の人事でもよくある事情だ)のだ。要は収録番組である以上、新官房長官会見の発表がなければ、一切触れられない。「オールオアナッシング」に追い詰められていたのだ。
予定通りに進めば、夕方6時に与党首脳会談が始まり、その後、組閣本部が始まって、呼び込み、名簿発表と、ぎりぎり間に合いそうな按配ではあった。しかし、経験上、新大臣を断わる人がでてきたり、ポストに納得しない派閥が反発したり(この混乱振りもよくある会社の人事と同じだ)と、すると1時間や2時間は送れることは日常茶飯事なのだ。
案の定、自民党と公明党の首脳会談はいきなり30分遅れた。塩川氏の日程から逆算して、「新しい大臣」の顔ぶれはあきらめて、ほかのテーマに切り替えないとならないのか・・・。キ○○マブクロが上がるのが自分でもわかった。そして、スタッフとバタバタと準備を進めていると、脇でテレビの特別番組をにらめながら新大臣の顔ぶれをメモしていた塩川氏が、「ひどいなあ」とうめいたのだ。「なあ、こいつやろ、こいつやろ、こいつだってひどいぞ。役所べったりの連中ばっかりやないかあ」。
誰ともなく「名簿の発表が始まった」との声が上がり、さらにバタバタと番組の収録が始まった。時間、夜、7時半。ぎりぎりだった。「この番組はいつも運に恵まれている」と思うのはこんな瞬間だ。控え室の怒りを持ち込んで、塩川氏は、まずは、結局「役人の作文」の羅列に終わってしまった社会保障の「安全安心プラン」などをあげ、福田政治が「官僚主導」になってしまっていることに喝を入れた。

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塩川:やっぱり一番最初の時ですよ。昭和55年、運輸大臣就任のとき、私はからかわれてると思ってね。「人をからかうのもいい加減にせい」と怒ったんですよ。ところが、そうじゃなく「鈴木総理の命令だぞ」と言うから、官邸に電話をしてみたんです。そしたら「載ってる」と、だから慌てて「モーニング持ってきてくれ」と言ったんです。うれしかったですね。うれしかった。