【2008年7〜8月号】
●「後期高齢者医療制度」と自民党と民主主義と〜自由民主党本部にて
この問題を「お金」で解く人を私は政治を知っている人とは認めない−−。自民党本部の9階にある食堂は、ラーメンも定食も安くて美味い。急に食べたくなって昼の合間に久しぶりに行った。50席ぐらいのパイプ椅子の並んだ、4列のテーブルの端に腰を下ろすと、南側にある広い窓から国会議事堂の三角の屋根が晴れ空の下で少しまぶしかった。ここは党職員のほか、建物の中での部会に議員が出ている合間に慌ただしく秘書が昼ご飯をすましていく場所だ。党本部での集まりには決まってここから食事が運ばれる。テレビニュースで政治家がカレーを食べていたらここのだ。夕刊用の原稿を書き終えたどこかの政治記者なのだろう「なんだか福田も小沢も機嫌がいいらしいんだなあ。凪だよ」なんて話し声が聞こえる。運ばれてきたカレーは辛すぎず、きっと二日酔いに優しくしてあるのだろう。大盛りの福神漬けは甘く、懐かしかった。窓際にある古びたテレビでは逆光の中「後期高齢者医療制度」のニュースが始まった。アナウンサーは「反発を受けて、自民党は高齢者の不安を取り除く政策を・・・」などと無表情に語った。聞くうちに「そんなんじゃあ」とだんだん腹が立ってきた。
自民党の成り立ちを知っている人ほど、政治の行方を鋭く読み解いていく人ほど「後期高齢者医療制度」の持つ深刻さに警鐘を鳴らす。その一人、武村正義氏は控え室で「僕なんかは自民党政治はもう限界だし、終わった方がいいと思っているんだけど、それでもこれだけ自民党の認識が甘いと教えてあげたい気持ちになるんだよねえ」と苦笑いした。
●武村正義氏 「理」から見ても「情」から見ても
福祉とは何か。この武村氏の「老いも若きもまさかの時に助け合う」という説明は、なぜこんなに反発が広がっているかを明確に指し示していた。今回の制度が、この国の喫緊の仮題である「財政再建」ばかりに目がいきすぎて、この福祉の本質にたがっていることが「根っこ」だ。要は「75歳以上をひとくくりにする」ことが間違っているのだ。間違っているから、かつて市民運動を呼び起こした哲学者、鶴見俊輔氏が語っていた「根っこの連帯」を、今日お年寄りの間に呼び起こしているのだろう。「不正」に対する怒りが根っこにある。そして、今の自民党がこの問題に真正面から取り組まない背景に「老人」に対する差別意識が見て取れるのが深刻なのである。今の自民党は全国1300万人の75歳以上のお年寄りを「主権者たる」存在ではなく、「有権者」たる存在でもなく、お金のかかる「社会のやっかいもの」として扱っていることが見て取れるのだ。その、存在が自民党の「固い支持基盤」であったことも忘れての対応に、自民党の長老達は番組の中で警鐘を乱打した。しかし、現役の自民党の反応は鈍いのだ。
そもそも、この問題に番組が取り組んでいくきっかけを作ってくれたのは、政治記者がよく夜回りの前にたむろする東京・赤坂の古い居酒屋(正しくは『スタンド割烹』と言うんだそうで、45年前東京オリンピックの頃の流行なんだそうで、しかし、ここの料理はすべからく美味だ)「かっぱ亭」の親爺だった。知ってましたかと手渡された産経新聞の塩川正十郎氏のコラムは切実で、翌日そのままスタジオで司会の御厨氏に読んでもらった。

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私も後1年あまりでこれ(後期高齢者保険証)を頂くことになる。とにかく、これは「情と理」という硬い言葉がありますが、制度の面から見てもおかしいし、日本人の情の面から見てもおかしい。制度としては、やっぱり「保険制度」ってもともと、老いも若きも、健康な人も、不幸にして病気になった人も、みんながお互いに助け合う相互扶助の制度でありますよね。それを75歳以上というと、殆ど病気がちの年寄りと、そこへプラスして身体障害者を加えてね。「病人だけで保険やれよ」という、「独立王国」を作れって、これは保険の体をなしていない。制度として根本的に矛盾がある。だから世界中どこも、こんなことをやってないのを日本ではなぜ始めたのか、ここに非常に大きな疑問を感じますし、「情」の面で言えば、日本人の伝統的な敬老精神に合わないと。お年寄りを大事にする、慈しむ。これは唯一残っている最後の日本人の道徳かもしれませんが、それがガラガラ壊れていくような制度を作り上げてしまった。全く「情」がないと思います。