【2007年11~12月号】
●「小泉の前」、「小泉の後」~衆議院本会議場にて
ひんやりしていた。そして、少しかびくさい。その日、会議が始まる30分も前に私は、国会の衆議院本会議場に着いた。これから「次の」総理大臣が決まるのだ。
2階のへりに記者席がある。なぜか、今でも鋼のプレートで一つ一つ会社名が書いてあるのだが…。ざっと見ても、テレビの席はないので、古巣の日本経済新聞社のプレートの席に座ってみる。私を知らない若い記者が「ここ日経ですけど」などと言ってきたら、「だから?」と言い返そうかななんて考えて。歳をとると意地悪になるものだ・・・。
本当は、今日しなければいけない仕事は何も無い。でも気ぜわしいのだ。だって、新聞記者時代、本会議があるような時には、いつも怒鳴られていたのだ。あれは政治記者の「虎の穴」だったなあ。そんなことを思い出していた。膝がつっかえるほど狭い足下には、棚がある。いつのだかわからない議事録の切れ端と、ホコリをかぶったヘッドホンが押し込んであった。最近、これ使わなくなったよなあ。なんて思った。昔の本会議場はスピーカーからの総理の言葉がきこえないほどヤジうるさかったのだ。PKO関連法案なんて、壇上の海部総理が何言ってるのなんか聞こえなくて、途中で総理番の我々は、このヘッドホンをつけて一生懸命、夕刊の原稿書いたなあ、なんて思い出した。
そうそう、あの本を読まなくちゃと、鞄の中を探ってみて、新書本を取り出してみる。「ニヒリズムの宰相小泉純一郎」(御厨貴著:PHP文庫)。これは、感動して、勢い余ってTBSの社長にも勧めたことがある、名著なのだ。
「(小泉政治は)従来の伝統や慣習に囚われない、あるいはそれが分からないというところが大事な点で、知らない人が見たら深謀遠慮で深く考えた上でやっているように見えるかもしれないけれども、じつはわからないからこそ、直感でどちらかを取ることについての迫力が、少なからずあると思います。彼の政治にあるスピード感やパワフルな印象は、そういうところに由来しているのです。また、国民の側も政治にあるギャンブル的な面白さを、この五年間で知ってしまった感じがあります。もしかすると国民と小泉内閣とは、いつのまにやら相互にゲームをしかける関係になったのかもしれません」。
政治の面白さを知ってしまった国民。そう、「小泉前」と「小泉後」なのだ。本会議場の扉が開いて議員が入り始めた。私は、この1ヶ月の番組を思い返していた。
「昭和史」(平凡社)で知られる元『文藝春秋』編集長の「歴史探偵」半藤一利氏(今でも打ち合わせは文藝春秋本社でやる))は、参議院選挙直後の出演の段階で、惨敗しても辞任できない安倍総理の姿に「自分に対して自分の判断が出来ていない」と、その先を「懸念」した。そりゃあ、今にしてみれば、最後の最後で、歴史に残る「してはいけないこと」をしてしまった政治家だったのだから、議会政治の歴史に詳しい半藤さんにとっては、なんとも奇異に映ってたことだろう。
◆「自分に対して、自分の判断ができていない」 半藤一利氏(2007年8月12日)
そして、「テロ特措法」の安倍総理取り組みについて「すっぽかしでしょ、多分。なにか成り行き任せなんですよね、全て」と予想して見せた。一緒に出演した、「政局の鬼」の異名を持つ野中氏は、その後の内閣改造・党役員人事で、「麻生幹事長」が取りざたされているのを踏まえて、さらに踏み込んで「安倍政権」の先行きを語った。

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ですから、あなたは選ばれてないんですから、当然これ自分が出処進退を明らかにするというのは、当然やるべきことだと私は思いますよ。ただあの方、なんかね、歴史に名を残す宰相でありたいんですね。そっちが頭に先にいってますから、今ここで辞めちゃうと、再びなることがないんじゃないかと、というふうに思ってるんじゃないでしょうか。
ただ僕は辞めた方がなるチャンスあると思いますがね。こう引っ張ったからには、もうなれませんね。引っ張らない方がなれますよ、もう一遍ね。その意味でもね、随分自分のことを間違ってるなと。自分に対して自分の判断が出来てないなと、いうことを非常に思いますね。